現実に下町というものはあり、下町風俗というものも断片的には残っているが、そこはうす汚れ、みみっちい打算に支配されている場所であり、コラージュ的幻想による〈下町〉とは似ても似つかぬことを人は知るべきである。(小林信彦)(*1)
9月15日、日曜日。小林信彦『東京のドン・キホーテ』を読み出してすぐ、言葉を失う。鋭すぎる。冒頭の「黒豹昭和十一年」「私の見たメーデー事件」「ヨコハマ・グラフィティ」「消滅した町のこと」「小説に現れた東京弁」の5つに著者の都市感が凝縮されている。昼飲み、せんべろ、角打ち……なんて言葉が消費されまくっている現代にあって、〈下町〉は〈テーマパーク〉とほぼ同義だと言っていい(ちょっと前に歩いた野毛でそう感じた。週末の昼間だからしかたないかもしれないけど)。
下町は──といっても私の生まれた町のことだが、一九四五年三月十日をもって地上から亡くなったのである。いうまでもなく、東京大空襲による。(*2)
地方の人は地方に帰ってくれた方がありがたい。文化人も地方に帰って、おのおのの故郷に〈文化〉のタネをまくとよろしい。(*2)
こんな風に書かれてしまったら、郊外出身の自分には何も言えない。でも、まさしくその通り。一応の故郷めいた土地で〈文化〉のタネをまくようなつもりで、日々店を開けているわけである。上記の文章がものされたのは1974年。って、おいおい50年前だよ! 半世紀前にこんなこと書いてたのか……。
とりあえず今日も『東京のドン・キホーテ』を読みながら、店にいる。自転車のパンクなどあり、夜のイベントにどうやって、いつ行くかは未定なのだけれど、18時までは確実に開けていいるので、お暇ならばご来店を。
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(*1)「小説に現れた東京弁」 (*2)「消滅した町のこと」