―仲間がいて、コンテンツがあったから、出来事が生まれて、
それを伝えるための場が必要だったんですね。
そうそう。だから、ある規模のコミュニティが揃ったときに、プログラムとスペースが必要になる。
プログラムとスペースの関係性は、「ドラえもん」の空地と同じやねん。
土管をデザインするっていうのが、「こと」をおこす仕掛け。ただ単に空地だけでもダメで、
プログラムが生まれるような仕掛けやそこに集う人が必要なわけ。
だって土管がなかったらジャイアンもリサイタルできないしね。
・・・
いつも景気が悪くなったら、「ひと・こと・もの」っていう原点回帰しようとするんやけど、
でもそれには順番がある。まずは、「ひと」ありきで、「ひと」が出会って、「こと」が生まれる。
さらに、「こと」のために「もの」が生まれる。そうあるべきやと思うねん。
21世紀はコミュニティの時代だっていうのも、
「ひと」からはじまって「こと」が重要になっているという表れなんやと思う。
―服部滋樹(『SUPER:』 -“graf服部滋樹といつもの店でいつもの話”より)