2012/12/29
"It's an anywhere road for anybody anyhow"
きみの道は何だい? 聖者の道か、気狂いの道か、虹の道か、水槽のなかのグッピーの道か。いずれにせよ、誰でもがどこへでも行けるどんな道もある。どうやって具現するかだ。
-ジャック・ケルアック
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ジャック・ケルアックの『路上』の中に「It's an anywhere road for anybody anyhow」という好きな文章がある。この一言が路上という本の魅力すべてと自分は思っている。自分は十八才の時はじめて路上を読み、そこに自分の知らなかった自由を見つけた。「誰でもが自由にどこへでも行けるどんな道もある」。自由とは「良識と良心」である。
(『くちぶえカタログ』/松浦弥太郎-"ON THE ROAD"より)
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「おれたちは行かなくちゃならない」
「行くって、どこへ行くんだ?」
「どこだかわからないが、行かなくちゃならない。河や人を眺め、世界の匂いをかぐんだ」
そうやって、じぶんの皮膚感覚で生々しくとらえた、あくまで等身大のアメリカを、手描きのままそっくり書きこんだ一枚の地図。それが『路上』だった。路上にとびだし、広大な野を突っ走って、街々をさまよいつづけ、狂ったようにハンドルを握って、唸る大陸をとてつもないスピードで、ひたすら走りつづける。ただそれだけを熱っぽく語って、『路上』があざやかに甦らせたのは、忘れられていた夢だ。
(『アメリカの61の風景』/長田弘-"「路上」の国へ"より)
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