2026/01/05

森本英人が2025年を振り返る

 ZINEを出しましょう。もちろん、ぜひやりましょう、という話をしながら、その実、ZINEというものがなんだかさっぱりわからない。ZINEフェスやアートブック・フェアに足を運んでみたけれどもやっぱりわからない。というか、ますますわからなくなってしまった。そもそも手に取って読んでみたいと思えるものに出会えていない。そんな状態がもう2年も続いていた。自分はなにか思い違いをしているんじゃないのか。

 夏が終わるころ、たまたま見つけたシカゴのZINE専門のオンライン・ショップでなんとなくおもしろそうなZINEをみつけたのをきっかけに、いくつかその手のショップを辿って、けっこうな量を買い込んだ。

 『1900年代初期のボストンにおけるイタリア人相互扶助組合について』、『移動式監獄展示バス:20世紀中期の少年犯罪防止方法』、『パレスチナのレコード・ジャケットのグラフィック・デザイン集』、『カントリーのもっとも有名かつレアなシングル盤「PSYCHO」の物語』、『ドラックにまつわるカントリー・ソング10選』、『シカゴ・リーダー紙所有のミュージシャン宣材フォト・コレクション』、『ヒップホップの黄金期におけるミリタント&アフロセントリックなロゴ&アイコン集』などなど。だいたい5ドルから8ドル、高くて11ドルといったところ。

 送られてきたZINEの、おそらくどれも自分たち自身で裁断、中綴じをして製本したらしい、愛くるしい無骨さに驚いた。

 『12月3日』というタイトルのZINEは、アメリカ中西部で1990年12月3日に起きると予言されながら、実際には起きなかった地震の騒動の記録。『キッチンから』は、教会や地域コミュニティの活動資金を得るために、アメリカの様々な地域で販売されていたクックブック(我が家のレシピ集)のコレクションと考察。『ポスチュマス』は、いまはクローズしてしまった、全米各地のローカル・ミュージック・シーンを支えたDIYイベント・スペースへの愛情溢れる追悼文集。『アントニア』は、自分が生まれ育った町に似ていると思えるようなものをいままで読んだことも見たこともないという作者が、その郵便番号もない小さな故郷の田舎町アントニアについて綴ったZINE。その町がとりたててユニークなわけではない。ただ「わたしが出会った田舎の描写は、親しみが持てず、あまりにも辺鄙だったり、あまりにも馴れ馴れしかったり、あまりにも単純で、あまりにも貧しく、あまりにも不気味で、あまりにもロマンチックすぎる世界のように思えた」。『フィッシュ・イン:1960年代の黒人とネイティヴ・インディアンの連帯』を読んで、1960年代当時、ネイティヴ・インディアンの団体が黒人の公民権運動からは距離をとっていたということをはじめて知った。その流れに逆らって、公民権運動に刺激を受けたネイティヴ・インディアンの若者たちが行ったある抗議活動に、黒人たちも連帯を示し加わったという記録を拾い集めたZINE。『逆さまのパンクス:フガジ・バスケットボール・リング・ショウの奇妙な真実の物語』は、ワシントンD.C.のパンク・バンド、フガジがデビュー直前に行った伝説のライヴの舞台裏を、イベントのオーガナイズなどまったく未経験だった当時19歳の主宰者に寄り添って描いたもの。彼はずっとライヴは失敗だったと思っていたし、その後二度とイベントを主催することはなかった。

 どれもとてもローカルで、ときにとてもパーソナルなテーマ、歴史のエアポケットに落ちたまま忘れ去られてしまった出来事にフォーカスしているのに、時間をかけて丁寧にホコリや泥を取りのぞいたさきに見えてくるものに、一転して親密な、現在の自分とどこかで確実につながっているという感覚を覚える。

 『なぜファシズムの時代に自費出版を?/その出版日記』には、ZINEの出版/ディストリビューションを行っている著者の活動がどのようにしてはじまったのかが記されている。それはアーティストの友人とランチを共にしていたときの次のような会話からはじまった。「莫大な冨と権力を持つ最低の連中にとって可能なかぎり役に立たないアートのかたちってなんだろう?」。著者が考えたのは「まずは7ドルのZINEからはじめてみよう」。

  僕が気になったZINEの出版や流通を手掛けている人たちの声を拾い集めていると、80年代後半のワシントンD.C.のパンク〜ポスト・ハードコア・ムーヴメントに少なからず影響を受けている様子が伝わってきてなんだかうれしくなってしまった。フガジを聴いて育ったティーンエイジャーが、それから30年以上たったいま、ZINEの制作、出版を楽しんでいる。素敵じゃないか。

 いくつかのZINEを読みをえたいま、その認識は半分間違っていたのかなという気もしてくる。むしろフガジやディスコードのDIY活動が成立しえたのは、そもそもこうした若者たちの存在があったからじゃないのか。

 アンダーグラウンドでもインディペンデントでも、オルタナティヴでもなんでもいいが、そこがメインストリーム予備軍の溜まり場だとしたら、僕にとってこれほどつまらないことはない。

「許可を待たずになにかをつくる自由を体験すること」

「アンコントローラブルであること」

なぜファシズムの時代に自費出版を?/その出版日記)

 ZINEという手法でしか伝えられないものがあるということを、やっと実感できた気がしている。アンダーグラウンドにもインディペンデントにも、その存在をかけて貫くべき本分、守らなくてはならない領域というのものがあるはずだ。

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