2026/01/01

北林研二が2025年を振り返る


師走のある日。描けない現実から逃避して、自転車で善福寺池まで行ってみた。描けないのは、細馬宏通さんの「東京なでなで記」の挿し絵で、描き方がわからなくなった。もともと「描けた」わけじゃないけどね。ありがたくもこうしてときどき、絵を描かせてもらったりするのだ。今年の注文は3件。イラストレーターとしては帰らぬ人となりそうだ。あはは、いい気味。 

「自分がすごくバカでダサくて無力な、社会のクズみたいな気分で、謙虚な気分で書くことにしてる」と言った人がいました。忘れてはならない言葉です。なのに、すべてあてはまる私がぬけぬけと忘れて、描けない描けないとわめく。こうも言っていた。「歌詞はサラッと書いてあんまり見直したりしない」これがむずかしい。ねればねるほど最初に思いついたアイデアのインスピレーションが消えて、カタチだけになっちゃうと細野さんがおっしゃって、それに大竹さんがこたえて曰く、いいえ、ここはYouTubeを見ます。その通りに書きとります。「自分がいいと思う箇所を見つけると、そこを残そうとするじゃないですか。その残そうと思ったとたんに、だめな方向に行くんですよね」と。
「そうやって誰にも見つからないような歌詞を書くのが好き。もうどうだっていいようなこと、紙クズみたいなもん」と、それは確かにそうでした。いつもあとから見たら、送らなかった絵、紙クズになった絵のほうがよかったということになる。「いかなるテープも捨てるべからず」という社則にしたがって「ハー・マジェスティ」は命拾いをしました。危ういところだった。細馬さんが下車した谷底のバス停を見つけて、自転車を止めました。 

「バス停の近くに掘立小屋のような定食屋があり、私たちはそこでラーメンを食べた。高齢のおばあちゃんが震える手で運んでくれる昔ながらの味、ワンコイン。焼豚の代わりにハムが入っていて、息子たちは大喜び。」
 これはDJ PATSATの日記『平凡な生活』。この日記のこういう側面もいいんだな。ラーメンに浮かんだハムがじわじわ効いてくる。スマホを家に忘れた日も、『平凡な生活』は鞄に入っていた。ハムを探してページを繰ると、同じ日の記述のすぐあとはこうくる。

「自身の内側から湧き上がってくるものや、降って湧くものよりも、努力して掴めるものを簡単に盲信してしまう。」

これにはハッとした。この先がすごいんだけど、やっぱり、買って読んでください。この本には励まされた。読むべきだ。
池に沿って歩いてみる。細馬さんに寄ってきた鴨が、私が近づくと背を向けて逃げていった。ここで二年まえ、京都に転居する友だちとお花見をした。自転車で来た道を戻る。井草八幡宮の大鳥居から青梅街道に出た細馬さんは、ふたたびバスにのる。本屋Titleでバロン吉元の原画展を見るためだ。私も自転車を止めて、二階の展示室に上がった。
ご息女のエ☆ミリー吉元さんの文章が壁に貼ってあった。Titleができるまえここは鶏肉やの店舗住居だったとある。この展示室の窓から見える道が、小学生のころの通学路で、下校時はもうもうと立ち上る煙の中をくぐって帰った。「学校でうまくいかないことがあった日も」と、そんなふうに書いてあった。うまくやってるのかやってないのか、小学生が家にもいて、なんだか娘とうまくいかなくなってきた親父もいて、朝からあれこれわめき、やり込められ、大声をだして、自己嫌悪で一日へこむ。これから先はどうなるのか。Titleの棚からあれこれ抜き取って、『それがやさしさじゃ困る』という本を買って店を出ました。下校中の高校生が歩いて行く。立ち読みした一節が頭でがーんと鳴っている。これがニ冊めの、今年読んだすごい本になるのです。 

・DJ PATSATの日記「平凡な生活」(2025)
・鳥羽和久「それがやさしさじゃ困る」(2025)

いつも遅れすぎた読者なので 、2025年じゃないのも交じるけどいくつか…

・Clara Burston 「Try That Man O' Mine」(1930) 
この録音が誰かに見つかるまえにはやく作らなくてはと思った。で久しぶりにMix CDを作った。

・佐治晴夫「『敵機爆音集』とベートーヴェン」(2022)
ラジオで高橋源一郎が読んでいるのを聴いて、ぞくっときました。こんなにたのしそうなレコードの聴き方はないとも思った。「映像の世紀」で見たソ連の肋骨レコードもだけど、音楽への向きあい方を考え直される。アナログ再発とか、オリジナル盤とか、音が良いとか、どうでもいいや。
「やがて、鉄製の門扉、蚊帳の吊り手、父の懐中時計のカバーに至るまで金物は軍需品として国に接収され、鉄製レコード針が消滅します。そこで、竹を細く削った竹針が登場するのですが、その竹も日本本土上陸決戦に備えての竹槍の材料になってしまいます。尖らせた竹の先端を火で炙って強化して槍にするのです。そこで思いついたのが、絵ハガキの角を歯でくわえ、もう一方の角をレコードの溝に触れさせて骨伝導で伝わってくるかすかな音を想像力で補いながら聴く方法でした。」
このレコードがパデレフスキーと知れば、この文章の味わいは深さを増します。今はまた戦前。 

・正一「むかし、むかし」中目黒dessin(2025、4月)
この展覧会をもう一度見たいと、なん年も先も思うだろうなぁ。

・平木元「AS NEEDED」東松原botany (2025、8-9月) 
むかし平木さんと二人展をやらせてもらったなんて嘘ですね。平面も、立体も、器も、あらゆる技法も、そこにはないのにあるように見えるものだ。畏れをもって見させてもらってます。見に行くまえに駅前の古本屋でいろいろ買って、帰りもまた買った。いい古本屋見つけた。

・Emily Dickinson 「Envelope Poems」(2016)
アムレテロンで見た山本アマネさんの展示のテーマになっていたディキンスンの詩集(画集?)を手に入れて、訳しながら読んでみた。「ふるえる太陽/は人間の本性の西/になんとやさしく/沈んでいくことか」Googleレンズの誤訳かな、それでもいい。

・閒村俊一「徳兵衛はん」(2025) 
春日傘田中小實昌譯素肌。ポケミス、と詞書が付いている。日曜美術館で見た宇野亜喜良の仕事机に、閒村さんの「鶴の鬱」が映った。

・鶴崎いづみ「私のアルバイト放浪記」(2023)
ほとんど消えかかっている線がくせもので、だまされないで。この本はハードコアです。すごいから読んでみたらと妻にすすめたが、食卓の端に追いやられたまま、読まれた形跡なし。がっくし。妻も忙しい。

以上。

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