『2025年は簡単に終わらせてくれない』
旅をしてました。
あちこちに出向く、現実の旅もそうなんだけど、自分の中に潜る内向きな旅を。
それがいいことだったのかは、現段階では判断できない。
観に行ったLIVEやDJ、パーティー、企画した展示や音楽の場、会った人、喋った人、お店に来てくれた人、初めて足を運んだ店に通っている店、訪れた遠くの場所、そこで会う友人たち。それぞれの場所での一瞬は、きらめく思い出深い名場面が、2025年もたくさんあった。そういう時は、心底楽しんだのだと思う。その一方で、ある時期から何か晴れない気持ちがずっと心につきまとい、それに飲まれてドツボにはまって、正直に言うと、2025年の後半は、ずっと元気じゃなかった、ように思う(とか書いちゃうと気を遣わせてしまいそうだが、いつも通りで大丈夫です!)。
何気ない会話のなかで「もう35歳なんだよね(実際には2026年の3月)」と発した瞬間に「アレ?」と思った。35歳を急に認識、意識してしまった。いやいや、人生の半分きてしまったぞ。ちゃらちゃら遊んでもいられないぞ。時間も無いくせに金もびっくりするくらい無い。体力はまだあるが、このペースで店を続けられるのもあと何年だろうか?猫は可愛いが、猫だけでは埋められない何かも、ある。全然何も出来てなくね?このままでいいのか?俺は。よくなくない?どっちなんだ。みんなどうしてんの?
“こっちの道”を選んだ時から、いわゆる幸せとは、また別の幸せがあると信じて、ちょっと盲信気味で生きてきてしまったが、ここにきて、急にブレが、揺らぎが、焦りが、生じてしまった。じゅうぶん楽しいし、今が幸せなのもわかってんだけどね。猫も可愛いし。恥ずかしい話が、この歳になって完全に思春期がぶり返してしまい、忙しさによるhighも手伝って、感情の起伏が荒波のようにコントロール出来なくなってしまった場面も多々あった。店と、少数の友人が、ギリ繋いでくれた。いい歳して、大人の振る舞いが出来なくて、吐露した感情や自分の態度に、厳しい言葉を貰う時もあった。言う方からしたらたまったもんじゃないし、それなりにちゃんと落ち込んだりするけれど、めっちゃありがたかった。初めて、己を見つめ直し、変われぬ苦しさを味わい、変わりたいとも思った。「俺は俺」だけじゃダメな年齢になってきたんだぞ、お前は。とは言え、友人とのやり取りの中でどんどん歯車が噛み合わなくなってきた俺に言われた一言は「深刻すぎ!!」。マジでそれだった笑 そんな時は陽気なラテンのオジサンを憑依することにしよう。
そんななか物凄い勢いとスピードで企画・制作したのが旅と多動のマガジン『珍珍道中』で、2024年のイケイケの旅を振り返ることで、良い意味で自分の店を見つめ直すきっかけにもなった。結果、店の純度を深めるために県外での出店はしばらく休み、店以外のプロジェクトは極力断つ決断をした。制作期間、人生で初めての経験なんだけどhighになり過ぎて不眠になって、あ、コレはいよいよマズイぞと本気で思ったが、これを2025年に作って本当に良かった。協力してくれたみんな、買ってくれた人たちありがとう。今はちゃんと寝られています。
そう、このマガジンのレビューを植田さんがブログに書いてくれて、とても嬉しかったんだけど、そこでも言及していて「さすが鋭い!」と思ったことがあって、多分、こういう生き方と〈食堂 湯湯〉という店の第一章が、ゆるやかに終わったんだと思う。それは「初期衝動だけでやること」の終わりでもあったはず。熊本で大切な友人で先輩が天国のような店をやってるんだけど、今年「2周年祝いにあげるけん」と貰ったレコードを(ちなみにKOHEI JAPAN「夜の狩人 featuring キエるマキュウ&宇多丸」)、悩み出した時期に何気なく引っ張り出したら手紙がついてて「2歳はイヤイヤ期」と書いてあって、くぅ~!!何でもお見通しやないかい!とクラい、改めてこんな先輩には頭が上がらないと思った。
こんな感じで内面にばかり深く潜ってクヨクヨばかりしていた今年の後半だったので、植田さんから今年もこの原稿の依頼があって、ハァ…暗くなっちゃうなァ…なんて考えながら、書く内容、書きたいことは頭にあったから、あとは書くだけ!書いたら2025年が締まる!と思っていたところ、12月の27日に、その人は突然店にやってきた。
憧れの…ってのも変だけど、店をやるにあたって、その思想、文章に多分1番くらい影響を受けている“憧れ”の飲食業界の人がいて。“憧れ”のタイプは色々あれど、ちょっと離れた距離からその人の言葉を享受できたらいいかな、会いたくはない、わざわざ会わなくてもいいと思っていたのは、やはりその人が“めんどくさい”の一言では片付けられない一筋縄じゃいかなさと鋭さ、ある種の嗅覚と自分の言葉を持ち合わせているからで、うーん、好きだけど会わんで良し、交わることもきっと無いだろうし、とずっと思っていた。ジャッジされるのが怖かったのかもしれない。まあ、その人がこの年の瀬に急に店に来て、飯を注文しているのである。本物だ~とか思っていたより大柄だ~とかアホみたいに思いつつも、いつも通り作って出す。
その方はとあるプロジェクトの件で、その話をしに来てくれたってのが食後にむこうから話しかけてくれてわかったんだけど、その話もやはり一筋縄じゃいかなくて、鋭くて、本で出会うその人のまんま、ロックスターじゃんって思った。そして、ひとしきり話したのちにこう切り出した。
「58にもなると(僕の作った「鶏の汁かけ飯」を)美味い、とも言い切れない。けど、美味いロック飯がきたって感じです。台湾には研究の余地がある。言葉じゃなくて響く美味さ…みたいなのが、台湾のジーサンの食堂とかにはある。んん~まあ、美味かったです。また会いましょう」と言って帰っていった。一筋縄じゃいかねえ~!ホンモノだ~!要は、その人にとってはあまり美味しくはなかったって初対面の僕に面と向かって言ってくれたんだけど、ちゃんと言うし、正直だし、見透かされたし、こちらの知らない世界にも繋がるヒントもくれた。多分ずっと数字じゃない「美味しい」とは何かを考え続けている人。だからこの人の言葉や文章、センスや捻くれ方が好きなのだろう。2025年にまだこんな瞬間があるとは思ってなかったぜ。
※ちなみに「鶏の汁かけ飯」に関しては美味しくなり過ぎないように作っているフシがある。多分突き詰めていくとラーメンの過剰さになるような気がしているからだ。朝から過剰な美味しさのラーメンは不必要だと思っているから。でもやっぱりその人もだし、いつものお客さんもだし、「美味しい」ってことが何よりも「正しい」とは思う。台湾には、ラーメンとは違う世界線の「美味しい」があるのか、その人が足りないと思ったのはなんだったのか。一度会ってしまったから、続きを話してみたいと強く思っている。そして台湾にも行かなきゃだな。
ここまで書いた現在、大晦日の20時36分。初めてバイトを雇いたいと思った程の激混み営業後の片付けもままならないままの買い出し、仮眠(ここ数日はずっと寝不足だった)、温泉、からのこの原稿。これから片付けをして、仕込みをする。元旦も営業なのだ。このままだと年越しそうだな。2025年は、全くもって、簡単に終わらせてくれなかった。
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