『10年後』
2025年を振り返ると、自分の中では大きな変化があった年だった。生まれ育った東京を離れ、宮崎県の高鍋町という町へ行くことになったのだ。アート作品を制作しながら町おこしをしていくという仕事を見つけ、それがたまたま高鍋町だった。採用が決まったのが2月末で、3月には大急ぎで引っ越し業者や転居先の部屋を探し、荷造りを進める日々を送った。やることだらけで焦っていた引っ越しも、過ぎてしまえば滞りなく完了し、4月の下旬に私は一人、高鍋町のがらんとした新居にいた。
引っ越すまでの約10年間、経堂に住んだ。目を閉じても歩けるくらいには、頭の中に地図もできていた。たまにふらりと飲みに行く店もできた。古書店、雑貨店、小さな個人商店が多い町だ。ちょっと足を伸ばせば映画館もあるし、区民プールにもたまに行った。歩いて銭湯にも行った。私が陶芸を始めるきっかけとなった、今は無き陶芸教室もかつてこの地にあった。
私が住んだのは経堂駅から少し歩いたところにある小さなアパートだった。商店街では通学や下校途中の大学生をよく見かけた。大きなスーパーもあって家族連れも多かった。コロナ以降、在宅勤務をこのアパートの部屋からした。家の近くの緑道まで、よく散歩した。暮らしやすかった。だから気付けば10年近く住み続けていた。
そういうものを全て置いて、私は宮崎に行かなければならなかった。私はそれが嫌で今まで引っ越しをしなかったのかもしれない。目には見えない安心感を私に与えてくれたお店、人、町。今まで築き上げてきたそういうものたちとの関係性が、まぼろしのように霞んでいってしまうのが嫌だった。一度アパートから出ることを決めたら最後、もう後戻りはできない。次の入居者がそのうち決まってしまうだろう。私の住居だった部屋に別の誰かが住み、部屋の明かりをつける。私の部屋ではなくなってしまったその部屋の中を照らす、誰かの明かり。その眩しさを想像し、胸がひりつく。
引っ越し業者がやってきて、私が焦りながら荷物を詰め込んだ段ボール箱をどんどん搬出していった。そんなに急がなくてもいいのに。屈強な人たちが、冷蔵庫も洗濯機も軽々とトラックに運んでいってしまった。部屋が空っぽになるまでに10分もかからなかった。空っぽになった部屋を見て、私の心にも大きな空洞ができてしまったようだった。引っ越し業者の人たちが慌ただしく去っていった部屋の中を、隅から隅までじっくり眺めた。それまで冷たい雨が降っていたが、引っ越し作業が終わる頃に雨も止んだ。
10年前の自分に、まさか10年後に宮崎に引っ越すことになるなんて想像できただろうか。未来は予測不可能だ。この10年、なるべく自分のやりたい方へ、なりたい方へ、頑張って近付こうとしてきた。けれど、寄せては返す波のように、引き戻され、うまくいかないこともあった。それでも、何事もやってみようの精神でこれまで乗り切ってきた。10年間、自分なりに色んな勉強もしてきた。10年前の自分のことを思い出していたら、私の心の空洞に風が吹き抜けていった気がした。そうだ、私は風のように身軽にどこにでも行ってみたいと思っていたタイプだったのに、どうしてこんなに臆病になってしまったんだろう。どこにでも行ってみたらいいじゃないか。
引っ越しという儀式により、私の心からもたくさんの荷物が運び出され、風通しが良くなったようだった。心が身軽になると、どこにでも行けるような気持ちが生まれてきた。どんなに緻密な計画を立てたって、10年後のことは誰にもわからない。その都度自分の最善を尽くすしかない。だから、10年後の自分よ。また思いもしないようなところに連れていってくれよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿