2023/01/02

高松夕佳が2022年を振り返る

2022年がもう終わるのだ、と気づくのが遅すぎる。 忙しいと言いながら師走を駆け抜けるものの、クリスマスまではなんとなく12月がまだまだ続くような気がしていて、お祭り終了の26日(今日だ)になって、「はっ! 今年あと1週間もない!」と青ざめるのを毎年繰り返している。 以下が、今年書き留めておきたいと思ったことなど。 ①移住を決める 6年のつくば生活を経て、京都に移住しようと決めたのが今年の年始だった。2月には建築設計事務所と工務店に挨拶に行き、建設計画が始まった。 建築家との打ち合わせを重ねる中で、プランは単なる自宅兼夕書房事務所から、飲食もできる本のあるスペースへと拡大。当たり前だが、何もかも初めての上1人で決めるためプレッシャーが半端なく、打ち合わせ後寝込むこともしばしば。 完成は再来年の予定なので、来年はいよいよ具体的な家づくりの1年になる。無事進むだろうか。 ②金森穣著『闘う舞踊団』の制作 来年1月に刊行する『闘う舞踊団』の著者、コンテンポラリーダンスカンパニーNoism芸術総監督の金森穣さんとの出会いは、今年の大きな収穫だった。 報告書の編集を任された関係で出席していたある研究会にゲストスピーカーとして登壇した金森さんの話に、久しぶりに胸が熱くなり、気づくと書籍化を持ちかけていた。 ひとり出版を始めて6年、小出版にも独特な「業界」ができつつあることを息苦しく思い始めていたし、日常に疲れ、優しく癒されたい人が増えすぎていることへの違和感も募っていた。 そんなとき、とことん鍛錬を積み、世界で称賛される舞踊家でありながら、これからの社会のために(国内で孤独になろうとも)一途にその力を注いでいる同世代の金森さんの厳しい闘いに触れ、叱咤されたような気がしたのだ。 集団の美の結晶であるNoismの舞台は美しい。しかしこの本には「検索すれば画像も動画もすぐ出てくるのだから、言葉の力で勝負したい」との金森さんの意向で、写真も絵もいっさい入っていない。今の日本社会でこの潔さがどこまで伝わるだろうか。夕書房にとっても新たな挑戦になると思う。 ③巨人、逝く。 今年も多くの著名人が亡くなった。 個人的に忘れられないのは、福音館書店創業者の松居直さん、絵本作家のレイモンド・ブリッグズさんの逝去だ。 松居さんには、福音館書店勤務時代、とてもお世話になった。中途入社した年、数年ぶりに松居さんによる新人向け社内講習会が開かれ、私たちは福音館イズムをたっぷり浴びて仕事にあたれた最後の世代となった。 その後、私は松居さんにインタビュー、「母の友」で2年間連載する機会にも恵まれた。訃報に接したのは、この13年前の連載が会社の70周年記念として書籍化された(『私のことば体験』)直後のことだ。戦後の子どもたちにくまなく良質の物語を届けるペーパーバックの月刊絵本というシステムを生み出した開拓者の歩みから学んだものは多く、これからも勇気をもらい続けると思う。 数多取材させてもらった絵本作家の中でも、印象に強く残っている人の1人が、イギリスのレイモンド・ブリッグズさんだった。異国から来た得体の知れない編集者をアトリエに迎え入れ、どんな質問にも真正面から答えてくれた。ブラックジョークとしかめっ面の奥に見える限りない優しさは、幼い頃愛読した『さむがりやのサンタ』そのもので、長く読み継がれる絵本の極意を掴んだような思いがした。気難しくインタビュー嫌いで有名なことは、後から知った。 お2人とも私にとっては「あの人がいるから頑張ろう」と思えた存在で、今後はかれらの精神を自分なりに受け継いでいくべきなのだろう。 ④変容する日本語 言葉というのは時代とともに変わっていくものだなあ、と思う。テレビで70年代の放送の断片が流れると、ゲストの口調や言い回し、会話のスピードが今とは全く違うことにいつも驚かされる。 それ自体は言葉の必然なのだが、言葉を扱うのが仕事の編集者としては、移り変わりの時期にはどうしても目くじらを立ててしまう。今年特に気になったのは、以下のような表現(( )内は従来の日本語)。 ・とは思います(と思います) ・というふうに感じます(と感じます) ・〜なと思います(だと思います) ・しれないですね(しれませんね) ・ないです(ありません) ・〜だったり(〜や/〜とか) いずれも言い切らない、断定を避けるためのワンクッションが特徴だ。いかにも今っぽいが、責任を負わない態度の表れのようでもあり、気になる。 かく言う私も、少し前に違和感ありまくった「だし」や「なので」を口にしている自分に気づき、しばしば愕然とすることは付け加えておく。 ⑤「silent」と「エルピス」 民放ドラマウォッチャーとして、今年の最終クールに放映されたこの2本の対称性は記憶しておきたい。 とにかく他人を傷つけず自分が傷つかないよう、神経を細やかすぎるほどに遣い、半径5メートルの(高校時代という過去に根差した)人間関係を快適にすることが人生のすべてである世界を表現した「silent」と、多くの人がうっすら感じていたが直視することを避けていた、今の社会の闇を作り出した原因そのものをえぐりながら、その複雑さを複雑なままこれでもかと突きつけた「エルピス」。 世間の分断を可視化したような2本が同じクールに放映された妙に唸りつつ、両作品のファンというのはどれくらいいるのだろうかと考え込み、前者のファンは夕書房の本を永遠に手に取らない人たちなんだろうなあと遠い目になったりした。 おかしなことが、繕うことさえなくおかしなまま堂々とまかり通り続けることが当たり前になった2022年。夕書房も、もはや「これからの私たちの本」と謳うのでは足りず、「どうにか正気を保ち続けるための本」を目指すべきなのかもしれない。

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