この国の“民主的”な国民は、号令がなければ動かない。彼らは号令に反応し、権威に反応する。(第二章「学生闘争・熊楠・オキナワ」)※
一昨日、水曜日に古本屋で手に取った、陣野俊史『テロルの伝説 桐山襲列伝』を読んでいてドキリとした。上記した一節は、日本社会の性質を言い当てているように思える。
自分たちは、今、明確な号令が出されないことに困惑し疲弊しているのか。だとすれば、みずから考え、行動することを放棄してしまったのは、いつからなのだろうか。この国には、本質的な主体性(自由?)なんてものは、そもそも存在していなかったのではないだろうか。
自分は日々、迷い、恐れている。正解はどこにもない。
※「この国の“民主的”な国民は、号令がなければ動かない。彼らは号令に反応し、権威に反応する。それは〈権威主義的性格〉というよりは、〈感応性精神病〉と呼ばれているものに近いものであるが、情義的な共同体に限りなく同調しようとするその心性は自分たちの外部に敵をつくり出したときにこそ、きわめて大きなエネルギーを噴出させるのである」–桐山襲「脅迫状に書かれている幾つかのこと」
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