昨日。開店前にすぐ近くに移転した〈千年一日珈琲焙煎所〉に立ち寄る、豆売りの店として再始動したのだが、頼めばコーヒーを淹れてくれる(カンパ制)。オーツボさんがその準備をしているあいだにお隣〈古着屋may〉で立ち話、目に入った服を笑いながら試着する。背中に「Family Fitness Club」(グレイトフル・デッド的配色)とプリントされた空手着。何すか、これ! と羽織ってみると、意外と、いい。シャツよりもジャケットに近いような気がする。サイズもピッタリだ。そのまま購入。この店で服を買うときはいつもこう。なんとなく覗いて、話して、着てみて、持ちかえる。値段が安いこともあり、遊ぶように服を選べる。
日記も「無償の行為」の一種だが、毎日書かねばならぬという自己への義務感が伴うと、楽しくない。しかし、日記はやはり毎日書かねばならぬ。なんのために? なんのためだか分からぬ。だから、書く。書けるのである。−昭和38年8月7日
朝、購入したばかりの高見順『文壇日記』(岩波同時代ライブラリー)を読み出すと、止まらなくなる。途中途中でクスリとしたりウムと考えさせられたりと愉快きわまりない読書の最後、劇的な展開に驚く。その後に続く、編者・中村真一郎の解説を読んで尚更、しずむ。
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