2015/07/31

『TO magazine』と『Spectator』


※この広告! 最近グッときた二つ!

ここのところ、キーボードを叩けば『TO magazine』とタイプしている気がする。
だから、このブログを読んでくれている方やボクのツイッターをフォローしている方には、またかと思われるのを承知でまた書く。
やっぱり今号の「世田谷区特集(上編)」は面白い。ページを開いて、雑誌に耽溺できるってのは幸せだ。ぐいぐい文字を追う喜びをかみしめる。
そして、読みながら自由になっていくような感覚がある。これは、なんだろうか。若い頃に『relax』に夢中になっていた感じに近い気がしている。
取り上げる記事、人物、書き手の背後にある精神姿勢の幅広さがその由縁かもしれない。この辺り、まだはっきりしていない。

「厖大な数の物語のなかから読む価値のある一篇を指し示してくれる方位磁石があるといい」-青野利光
「文章を書く練習は、まず書かれた文を読むことからはじまる」-北山耕平

この『TO magazine』を読んでいて、思い出したのが『Spectator』の33号だ。
思い出したということは、忘れていたわけで、これはまったく失礼な話なのだけれど、再読してみて驚いた。ここには活字の海がある。
入荷した当初は一読し興奮して、これは書くための特集なのだ! といきりたち喧伝した。でも今は思う、それはまったく間違っていた。
この“クリエイティブ文章術”という特集は、まず、読むための編集がなされている。ざぶんと誌面に飛び込めば、知らぬどこかに流されるというわけだ。こんな場所、景色は知らなかった! と読み終えてから気づかされる、テキストばかりが揃っている。そのセレクトがお見事でうなってしまう。

その中でも特におすすめなのは、「謎の東京ロビンソン博士」、「牛丼を食わせている奴らをぶちのめすために」、「ラブホテルの三十人」の三編。
それぞれの書き手は石飛仁、松本哉、阿奈井文彦。年齢や境遇、書くテーマもまったく異なる三氏の文章を是非読んでみてほしい。
普段、そばにあるのに見過ごしている現象や当たり前だと思っている物事を改めて凝視し、距離を埋めるってのは冒険なのだ。
そんなことを思いながら、改めて興奮しながらボクはページをめくった、というわけ。

だから、『TO magazine』と『Spectator』をしっかり売りたいのだ!

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