2020/08/31

8/31 家日誌


こんな人里はなれた消費の現場にさえ、レディメイドという概念が伏流水のように浸みこみ、しかも都合よく百八十度価値が反転している。美しい、レディメイド。この撞着した言葉を雑貨化といわずしてなんといおうか。
−「レディメイド、さえも」(『雑貨の終わり』p.62)

読むのを楽しみにしていた三品輝起さんの『雑貨の終わり』(新潮社)。少しづつ、ゆっくり味読しようと思っていたのが甘かった。読み出したら止められない。こんなにも冷徹に消費の現場を洞察、言語化した書籍を他に知らない。語彙が豊富で、言葉選びも適切だからすいすい読めてしまうのが恐ろしい。

ひもとく内に、自己に向かう意識、自意識と呼ばれるものがいつの間にか大きくなっていた自分に気がつき、ブログ内のいくつかの記事を書き直した。さながら消火活動だ。しかし、自分はとっくに手遅れ。これまでに撒き散らしてきた赤っ恥は抹消しきれない。それを引き受けなければ先にはいけない。

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