8月4日。朝、図書館で借りてきた、ベン・ファウンテン/上岡伸雄・訳『ビリー・リンの永遠の一日』(新潮クレストブックス)を読み終える。まあまあの厚さではあったけれど、中盤以降はリズムに乗ってぐいぐい読んだ。物語の中頃にある主人公ビリーと彼の所属する部隊の長、ダイムとの会話が印象的。
「借金は好きではありません」とビリーは言う。「借金があると心配になってしまいます」
「歴史的には、それがまともな考え方だよ」。ダイムは氷の塊バリバリ噛む。「だが、まともかどうかはあまり大事ではなくなっているようだ」(p.160)
終盤近くになって、ダイムが野心家の映画プロデューサー、アルバートに投げかける言葉は上の部分に照応するようだ。
「でもちょっと待ってくれよ。言うはやすしだけど、金は本当に物をい言う。それが俺たちの祖国だ。俺はそれが怖い。みんながそれを恐れるべきだと思うな」(P.369)
ここでいう祖国とは彼らの国、アメリカ。ダイムが率いる「ブラボー連隊」は戦地イラクで自国軍の補給隊を敵から守った。その模様を保守派メディア、フォックスの取材陣が記録に成功した。そして彼らは英雄として祭り上げられる。ほんのわずかな間だけ。以下、最終的なビリーの独白。
このようにニコニコしている市民たち、何もわかっていない市民たちがこの国の本流なんだ。(略)物事を動かしているのはこういう人たちだ。何も知らない無垢な人たち。彼らが国内で見ている夢が支配的な力なのである。(P.402)
まるで、自分の住む社会のようだ。
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8月5日。昨夜から『季刊 黒猫』(円盤/リクロ舎)夏号を読んでいる。それぞれの記事が紙のまま袋に入っている雑誌。その一枚一枚が独立している。面白いなあと思うものもあれば、よく分からないものもある。色々な声が聞こえてくる。これもまた、場作りと言えると思う(田口さんもそんなこと言っていたっけ)。
封入されている紙たちに共通するのは、自己に向かう意識がつよくないということか。強弱に差はあれど、他人からどう思われるかに頓着せずに書かれているものが多い。その種の表現、内面のあらわれに触れる機会が少ない時代にあって、まちがいなく稀有な雑誌だ。
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8月6日。平岡正明『平岡正明のDJ寄席』(愛育社)を開くと、なんとなく馴染みのある文体の「前説」がある。ピンとくるものがあり、奥付を見てみると、なんと! 二木信、田中元樹両氏の名前を見つける。脳みそが刺激されてアイデアが浮かび、すぐに田中くんにメールを送る。うまく行けば、一つ催事が成立するだろう。
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8月7日。火曜日に読み終えた『ビリー・リンの永遠の一日』が脳内では映画として記憶されている。特に、終盤のフットボール場でのシーンは映像として記憶されている。不思議だ。実際に映画になっているようだけど(日本未公開)。
何気なく読みはじめた、水木しげる漫画大全集080『猫楠 (他)』(講談社)に圧倒される。小耳に挟む程度で積極的に興味を抱いていなかった南方熊楠、ものすごい生き様だ。この圧倒的な傑人を怪物のように描くのでなく、悲哀をも織り交ぜた人間として描ききった水木しげるの筆力にも恐れ入る。とにかく、とんでもなく面白かった。
何気なく読みはじめた、水木しげる漫画大全集080『猫楠 (他)』(講談社)に圧倒される。小耳に挟む程度で積極的に興味を抱いていなかった南方熊楠、ものすごい生き様だ。この圧倒的な傑人を怪物のように描くのでなく、悲哀をも織り交ぜた人間として描ききった水木しげるの筆力にも恐れ入る。とにかく、とんでもなく面白かった。
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8月8日。二日酔いのダルさもあり、落ち着かない一日。まったく本を読めず。
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8月9日。酒を抜いたこともありスッキリした目覚め。起きてすぐ、昨日届いた熊本の文芸誌『アルテリ』十号(アルテリ編集室)に目を通す。同誌編集人の田尻久子さんは「五年もかかってしまった」と書いていたが、遅くもなく早くもない、しっかりとした足取りだと感じる。超高速度の情報化社会にあって、固有のペースを保つのは簡単なことじゃない。個人が個人のまま、他者とかかわり合う希有な場所。〈橙書店〉のあり方が誌面に反映されているのだろう。
本を返しに行った図書館でウィリー・ヴローティン/北田絵里子・訳『荒野にて』(早川書房)を見つける。この連休中に読むのにちょうど良いと感じて、借りてくる。別に自分は休みではないのだけれど。
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8月10日。朝は『荒野にて』を読む。先に映画を観ているから話の筋はわかっている。だけれど、どうにも辛い。主人公チャーリーは不遇だ。出てくる食事、ビールはどれも不味そう。映画よりも、しっかりと辛い。もしかすると、自分と翻訳文との相性が悪いのかもしれない。
先日買い取った本の中に入っていた漫画、相澤いくえ『モディリアーニにお願い①』(小学館)を試してみる。なんとなーく読み始めてみたら、第7話「りょうちんのバッジ」を読み終える頃にはうっすら涙ぐんでいた。
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8月11日。朝から暑い。サッと支度をととのえて、〈ベッカライ・ブロートツァイト〉に本を入れ替えにいく。このお店の本棚、かれこれ五年以上は使わせてもらっているだろう。少なくとも週一回は本の入れ替え、整理をする。少しサボれば、あっという間にさみしい状態になってしまう。細々とであれ、今後も手を入れていくつもり。ブロートツァイトは明後日13日から17日までお休みとのこと。
今日は店が休み。『荒野にて』の続きを読もう。そろそろチャーリーが出発するところ。
8月9日。酒を抜いたこともありスッキリした目覚め。起きてすぐ、昨日届いた熊本の文芸誌『アルテリ』十号(アルテリ編集室)に目を通す。同誌編集人の田尻久子さんは「五年もかかってしまった」と書いていたが、遅くもなく早くもない、しっかりとした足取りだと感じる。超高速度の情報化社会にあって、固有のペースを保つのは簡単なことじゃない。個人が個人のまま、他者とかかわり合う希有な場所。〈橙書店〉のあり方が誌面に反映されているのだろう。
本を返しに行った図書館でウィリー・ヴローティン/北田絵里子・訳『荒野にて』(早川書房)を見つける。この連休中に読むのにちょうど良いと感じて、借りてくる。別に自分は休みではないのだけれど。
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8月10日。朝は『荒野にて』を読む。先に映画を観ているから話の筋はわかっている。だけれど、どうにも辛い。主人公チャーリーは不遇だ。出てくる食事、ビールはどれも不味そう。映画よりも、しっかりと辛い。もしかすると、自分と翻訳文との相性が悪いのかもしれない。
先日買い取った本の中に入っていた漫画、相澤いくえ『モディリアーニにお願い①』(小学館)を試してみる。なんとなーく読み始めてみたら、第7話「りょうちんのバッジ」を読み終える頃にはうっすら涙ぐんでいた。
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8月11日。朝から暑い。サッと支度をととのえて、〈ベッカライ・ブロートツァイト〉に本を入れ替えにいく。このお店の本棚、かれこれ五年以上は使わせてもらっているだろう。少なくとも週一回は本の入れ替え、整理をする。少しサボれば、あっという間にさみしい状態になってしまう。細々とであれ、今後も手を入れていくつもり。ブロートツァイトは明後日13日から17日までお休みとのこと。
今日は店が休み。『荒野にて』の続きを読もう。そろそろチャーリーが出発するところ。
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