7月に同じ〈キネ旬シアター〉で観た『アメイジング・グレイス』との違いは何だろうか。あの作品も観衆、客席の模様が映画の大きな要素になっていた。が、もっと危なっかしい雰囲気だった。操縦しえない感情が会場全体を横溢していたように思う。突然、のっそり動きはじめる老婆がいて、それを止める人たちがいた。カメラの前を人が横切り、長話が終わらないアレサ父、それをみてハラハラしている司会役の牧師(彼もよく話し、歌う)がいた。終始、ドタバタしていた。
ベーシスト、チャック・レイニーの演奏、生み出す音が素晴らしい。だけれど、彼の姿はまともには映らない。劇中で劇的に紹介されるわけでもない。それでも場全体を包むような楽器の響きに自分は大きく心を動かされた。
噴き出す汗でドロドロになるアレサ・フランクリン。あの顔、姿もまた印象深い。生々しさを映画、音楽をはかる物差しにするつもりはない。なのだが、昨日観た『アメリカン・ユートピア』よりもつよく、はげしく感情を揺さぶられたのは確かである。人工的な熱狂と霊的なもの、その違いを感じたということか。
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