2014/07/24

『いつの日かダブトランぺッターと呼ばれるようになった』


※表紙の版画制作、インタビュアーはエンドウソウメイ氏。

“去年の暮れにこだま和文と京都で飲んだ。
男の飲み会に理由づけはいらない。”


ページをめくって、最初に現れるこの書き出しに打ち抜かれた。
語り手は川内一作氏。数々の修羅場をくぐり抜け、現在は六本木の音楽実験室「新世界」を主宰している人物だ。
なんてことはない。ただ、素直に格好良いなあと思っただけだ。そして、『いつの日かダブトランぺッターと呼ばれるようになった』に吸い込まれた。
本書はトランぺッターこだま和文がインタビューに応えるかたちで自身の生い立ち、青春、芸術、音楽に関して語りぬいた本である。整った語り口ではないし、時系列もまま乱れる。だけれど、ここには美しいなにかが潜んでる。ハッとするような言葉がこだま氏の口を通して表出する。

“考えてみたら部屋の中で音が出るものって“水道”だけなんだよ。水道の蛇口を捻ると水が出る、それがシンクに当たるじゃん。弱くすると雨音になるし、強く捻るとすごいノイズにもなるわけ。で、「雨音にしよう」と。右手でラジカセのスイッチを“オン”にして、左手で水道の蛇口を“オン”(笑)。そして、トランペットをアドリブで吹く。” 

もう、この逸話だけで、空想好きなあの人とは一晩中話ができるような気がする。
それだけのヒントが詰まった本だと思う。ぐんとイメージを広げてくれる。

“輝ける太陽はいらない、青春は黄昏と夜明けだけでいい。”

そして、インタビューの合間に挟まれる川内氏のショート・エッセイが素晴らしい。
切れ味鋭く、詩情をたっぷり含んだ乾いた文章。本当に格好良いと思うし、どうにかして真似したくもなってくる。
青春まっただ中の20代を「地獄の季節」と言い換えるそのセンスには脱帽した(あ、ランボーってそういう詩をよんだのか、と気づく)。
クーリーズ・クリークからの青山CAY、80年代の代官山、ハリラン、フィールド・オブ・ヘブン・・・自分の憧れの場所のことばかりが語られる。
遊ぶことを仕事にした、男たちの冒険譚。それぞれの生き様と死に様に胸を打たれる。

音楽や芸術に取り憑かれてしまっている人はもちろん、こだま和文を知らない若い世代にも読んでほしい。
この本を読んで、どうでもいいことに拘ったり、気触れたり、格好付けることって大事だよなあと、改めてボクは思ったんだ。

***



逢うたびに、人と人がつながっていることを、言葉で確認しあうのは「不毛な事だ」と言い放つこだま和文。
この本はそんなこだま流の生き様が満載。読み終わったあと、深く容認。
-------本籍じゃがたら南流石


『いつの日かダブトランペッターと呼ばれるようになった』 こだま和文  
東京キララ社 / JPN / 四六判 / 1,620円(税込) 

ミュージシャン・こだま和文がもっとも語りたくなかった、葛藤する青春時代のエピソード。

ぶどう園、忌野清志郎、江戸アケミ、シゲちゃんスラング事件、吉祥寺はパリ…福井から上京してから、ミュートビートに至るまでを綴るエッセイ。

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