2026/01/06
1/6 店日誌
2026/01/05
森本英人が2025年を振り返る
ZINEを出しましょう。もちろん、ぜひやりましょう、という話をしながら、その実、ZINEというものがなんだかさっぱりわからない。ZINEフェスやアートブック・フェアに足を運んでみたけれどもやっぱりわからない。というか、ますますわからなくなってしまった。そもそも手に取って読んでみたいと思えるものに出会えていない。そんな状態がもう2年も続いていた。自分はなにか思い違いをしているんじゃないのか。
夏が終わるころ、たまたま見つけたシカゴのZINE専門のオンライン・ショップでなんとなくおもしろそうなZINEをみつけたのをきっかけに、いくつかその手のショップを辿って、けっこうな量を買い込んだ。
『1900年代初期のボストンにおけるイタリア人相互扶助組合について』、『移動式監獄展示バス:20世紀中期の少年犯罪防止方法』、『パレスチナのレコード・ジャケットのグラフィック・デザイン集』、『カントリーのもっとも有名かつレアなシングル盤「PSYCHO」の物語』、『ドラックにまつわるカントリー・ソング10選』、『シカゴ・リーダー紙所有のミュージシャン宣材フォト・コレクション』、『ヒップホップの黄金期におけるミリタント&アフロセントリックなロゴ&アイコン集』などなど。だいたい5ドルから8ドル、高くて11ドルといったところ。
送られてきたZINEの、おそらくどれも自分たち自身で裁断、中綴じをして製本したらしい、愛くるしい無骨さに驚いた。
『12月3日』というタイトルのZINEは、アメリカ中西部で1990年12月3日に起きると予言されながら、実際には起きなかった地震の騒動の記録。『キッチンから』は、教会や地域コミュニティの活動資金を得るために、アメリカの様々な地域で販売されていたクックブック(我が家のレシピ集)のコレクションと考察。『ポスチュマス』は、いまはクローズしてしまった、全米各地のローカル・ミュージック・シーンを支えたDIYイベント・スペースへの愛情溢れる追悼文集。『アントニア』は、自分が生まれ育った町に似ていると思えるようなものをいままで読んだことも見たこともないという作者が、その郵便番号もない小さな故郷の田舎町アントニアについて綴ったZINE。その町がとりたててユニークなわけではない。ただ「わたしが出会った田舎の描写は、親しみが持てず、あまりにも辺鄙だったり、あまりにも馴れ馴れしかったり、あまりにも単純で、あまりにも貧しく、あまりにも不気味で、あまりにもロマンチックすぎる世界のように思えた」。『フィッシュ・イン:1960年代の黒人とネイティヴ・インディアンの連帯』を読んで、1960年代当時、ネイティヴ・インディアンの団体が黒人の公民権運動からは距離をとっていたということをはじめて知った。その流れに逆らって、公民権運動に刺激を受けたネイティヴ・インディアンの若者たちが行ったある抗議活動に、黒人たちも連帯を示し加わったという記録を拾い集めたZINE。『逆さまのパンクス:フガジ・バスケットボール・リング・ショウの奇妙な真実の物語』は、ワシントンD.C.のパンク・バンド、フガジがデビュー直前に行った伝説のライヴの舞台裏を、イベントのオーガナイズなどまったく未経験だった当時19歳の主宰者に寄り添って描いたもの。彼はずっとライヴは失敗だったと思っていたし、その後二度とイベントを主催することはなかった。
どれもとてもローカルで、ときにとてもパーソナルなテーマ、歴史のエアポケットに落ちたまま忘れ去られてしまった出来事にフォーカスしているのに、時間をかけて丁寧にホコリや泥を取りのぞいたさきに見えてくるものに、一転して親密な、現在の自分とどこかで確実につながっているという感覚を覚える。
『なぜファシズムの時代に自費出版を?/その出版日記』には、ZINEの出版/ディストリビューションを行っている著者の活動がどのようにしてはじまったのかが記されている。それはアーティストの友人とランチを共にしていたときの次のような会話からはじまった。「莫大な冨と権力を持つ最低の連中にとって可能なかぎり役に立たないアートのかたちってなんだろう?」。著者が考えたのは「まずは7ドルのZINEからはじめてみよう」。
僕が気になったZINEの出版や流通を手掛けている人たちの声を拾い集めていると、80年代後半のワシントンD.C.のパンク〜ポスト・ハードコア・ムーヴメントに少なからず影響を受けている様子が伝わってきてなんだかうれしくなってしまった。フガジを聴いて育ったティーンエイジャーが、それから30年以上たったいま、ZINEの制作、出版を楽しんでいる。素敵じゃないか。
いくつかのZINEを読みをえたいま、その認識は半分間違っていたのかなという気もしてくる。むしろフガジやディスコードのDIY活動が成立しえたのは、そもそもこうした若者たちの存在があったからじゃないのか。
アンダーグラウンドでもインディペンデントでも、オルタナティヴでもなんでもいいが、そこがメインストリーム予備軍の溜まり場だとしたら、僕にとってこれほどつまらないことはない。
「許可を待たずになにかをつくる自由を体験すること」
「アンコントローラブルであること」
(なぜファシズムの時代に自費出版を?/その出版日記)
ZINEという手法でしか伝えられないものがあるということを、やっと実感できた気がしている。アンダーグラウンドにもインディペンデントにも、その存在をかけて貫くべき本分、守らなくてはならない領域というのものがあるはずだ。
惣田紗希が2025年を振り返る
2025年はいろいろなことから10年が経ち、それぞれのそれからの10年目に立ち会い、自分でも10年ぶり、それ以上ぶりにやってみることが多い年だった。10年以上個人のまま仕事をやっていると、今現在が過去の仕事に責任として反映されていくような気もするし、流れ去っていくものが大半な気もするし、そんななかで何がどう積み重なっていくのだろうと思う。
年始に本棚に入らなくなった本を整理して、売るなりなんなり処分してもいいかと思った本を振り分けてみたら山のように積み上がった。ここ数年、グラフィックデザイナーやイラストレーターや建築家が足利に移住してきているという状況を間接的にぼんやり把握していたので、その人たちに声をかけて古本イベントをやってみるかと企画。ただただこの本の山を処分したいという一心で。
とりあえず同級生のデザイナーの鶴見と、鶴見とオフィスをシェアしている建築家の丸さんと、イラストレーターの村松くんに声をかける。村松くんはPEOPLEの民、河合浩さんから足利=惣田と聞いていたらしい移住者で、つくばとの縁がある。村松くんは欠席となったけど、鶴見と丸さんのオフィスを会場として使えることになり、GO ON牧田さんとサトウタクトくんに声をかけ、ashikaga social spot と銘打ってとりあえずやってみた。
やってみると、出店者も来場者もそれぞれ個人の文化を持ち寄るみたいな感じでおもしろかった。イベントを終えた日の夜に15周年だったマーラーズパーラーにタクトくんを連れて行ったら、さっきまでのイベントでは見なかったとびきりの笑顔を輝かせ、全員初対面にも関わらず10年友達みたいな絡みと面構えをしていておののいた。「この感じPEOPLEに近いかも!」と大声で言っていた。
それ以降、個展と仕事で4月以降は毎日締切フルマラソン状態で、ドタバタ駆け抜けていった。その間、ashikaga social spot 第二弾を牧田さんとタクトくんが企画してくれて、ただ楽しみにしている人となる喜びを味わう。
第二弾に牧田さんとタクトくんが揃えたのは、つくづくの金井さん、PEOPLEの植田さん、pottmann、そして足利のフレッシュ枠の速水くん。
PEOPLEには2014年に河合さんの展示を目的に初めて行って、それ以来ちょくちょく通うなか、いつだったか白い紙に青い線画の絵が印刷されたポスターを植田さんが指差し、「最近この人おもしろいよーサトウタクトくん」と言っていたのを覚えている。更にある日、マーラーズパーラーで牧田さんと打ち合わせした時、牧田さんがタクトくんデザインのつくづくTシャツを着ており、タクトくんが足利に移住してきたことを植田さんに聞いていた状態で「これを足利で着て歩いてたらサトウタクトくんに気づいてもらえるかも!」と言っていた。その時は、遠回りすぎでは? と思いつつ、一連の流れを全て伏線回収するような日となった。打ち上げでは金井さんと植田さんがジジイぶりを発揮していてやかましかったけど、片付けを終えて合流した牧田さんがそのふたりの上を行くやかましさで全てを覆い尽くしてきたので、金井さんがおとなしくなっていた。
コロナ禍以降全然行けていなかったPEOPLEの品揃えは足利でも輝いていて、ひとつの興味が水切りの石のようにビュンビュン飛んでいくような楽しさがあった。やはりお店に行かないとだな。SNS上の情報や流れを受け止めきれないというか、考える余地よりも即座の反応が求められているような感じがしんどくなると、アプリを消して距離をとるようにしている。紙やブログ、対面では話せることや受け取れることが増える。わたしは対面ではめちゃくちゃ顔に出るけど、SNSで見えてるところだけで理想を固められても困る。そこに辿り着くまでの移動を経て、実存を確かめ合って、それから少しだけ対等でいられる時間を過ごせるようになるのかもしれない。また2026年もなにかやれたらいいな。
写真:打ち上げのあと雨のなか拳を振りかざし宿に向かう植田さんと見守る牧田さん
キングジョーが2025年を振り返る
2025年を振り返ると、2月に転職して夜勤中心の生活になったことが自分にとって大きな変化でした。
夜勤明けに帰宅してひと息つくと、平日の昼間に自由な身であることが嬉しくやたらと映画館に行ってたような気がします。
『シビル・ウォー』『サブスタンス』『愛はステロイド』『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』と、残忍もしくは陰気で自意識こじらせたようなやつ、他人への共感能力に決定的な欠如のあるやつが出てくる映画ばっかり観てたように思います。
決定打は『ボディビルダー』。劇中、主人公による陰湿な意趣返しのシーン。そのシーンでラジカセから流れる音楽に上記残忍or陰気映画が一本の線でつながった気がして、その線が「現在のダークサイド」を象徴しているように思えて、震えました。
※その反動で、友人のDJ薬師丸さんにお勧めされた映画『シャドウズ・エッジ』を観た時、齢70でまだまだ元気にスタントをこなすジャッキー・チェンに心が洗われるようなスッキリとした気持ちになりました。敵の「影」と呼ばれるおじさんも又良くて。老いも若いもAIも皆で力を合わせて悪を倒して。かと思ったらラストで根絶ではないことが雑に暗示されて。
あと大きかったのは、10年近く集めてたタイのレコードでミックスCDを作ったこと。アジア音楽と文化を“タムブン”の精神で伝えるメディア”てんぱりてんぷる”やタイ音楽DJのKO MEGさんによる活動を見て「おれもなんかしたい」と思い立ったことがきっかけでした。これが当初思ってたよりも沢山の人に聴いていただけて(ありがとうございます!)嬉しいよりもビックリしました。
※ちなみに大阪は淡路の自転車屋兼サムシングを売る店タラウマラに本ミックスCDを卸しに行った際、偶然店内で居合わせた植田さんを店主土井くんに紹介していただいたのがご縁で今にいたります。
「ミックスは三部作にしよう」と決めてたのですが、それほどタイのレコードを沢山持ってる訳でなく(普通だとなかなか買えない)(筆者はタイに行ったこともない)、キラー曲は根こそぎ最初のミックスに入れたんで「2作目でクオリティが落ちたよね」「まあしゃあない。ジョーもよう頑張ったんちゃう」と言われるのも嫌なので、続編の為に秋以降はオークションを中心にタイのレコードを探しては買いを繰り返してました。特に現地から出品してくれる日本のディーラーの方からよく買ってたのですが、タイから送ってくれるのでうちに届くのに10日弱かかるんです。待つのも楽しいものですが、そうして待ってる間にその人が又良いレコードを出品するんで、待ってる間にまた買って、それの到着を待ってる間にまた・・・みたいなことがずっと続いて先週ようやくひと区切りつきました。これから最終の選盤と曲順を練ってライブ録音に挑みます。上手に繋ぐことができるか、今から不安です。
タイの音楽、ほぼ情報が無い(探せばあるけど)上に、文字も読めない(ひと手間かければ判読できるけど)のでオークションにリンクされた試聴ファイルをじっくり聴いて判断したり、試聴不可能の場合はオークションに添えられた紹介文を必要以上に信用して、イチかバチかに賭けるような買い方をしてます。燃費は悪いけど、「すごい!」と思える曲に出会えた時の、脳汁がドバドバ溢れるような興奮の迸り、驚きと発見は趣味を超え最早や生きがいとなりつつあります。
タイ以外にも盟友の佐藤マタが手ほどきしてくれるインドネシアの音楽や、昨年の盆に度肝を抜かれた朋友・長谷川陽平の回したトルコのサイケロック(陽平氏は大韓ロックのオーソリティでもあります)、そろそろ手をつけたいシンガポール界隈のア・ゴーゴー、映像も込みで観たい知りたい聴きたいボリウッドもの他、アジアの音楽への興味は日増しに膨らむばかり。
心を揺さぶるカッコいい曲に少しでも多く出逢うこと、それを大きい音で回して誰よりも踊り狂うことが今年の目標です。
(キングジョー)
1/5 店日誌
2026/01/04
中村友貴が2025年を振り返る
『2025年は簡単に終わらせてくれない』
旅をしてました。
あちこちに出向く、現実の旅もそうなんだけど、
それがいいことだったのかは、現段階では判断できない。
観に行ったLIVEやDJ、パーティー、企画した展示や音楽の場、
何気ない会話のなかで「もう35歳なんだよね(
“こっちの道”を選んだ時から、いわゆる幸せとは、
そんななか物凄い勢いとスピードで企画・
そう、
こんな感じで内面にばかり深く潜ってクヨクヨばかりしていた今年
憧れの…ってのも変だけど、店をやるにあたって、その思想、
その方はとあるプロジェクトの件で、
「58にもなると(僕の作った「鶏の汁かけ飯」を)美味い、
※ちなみに「鶏の汁かけ飯」
ここまで書いた現在、大晦日の20時36分。
上野郁代が2025年を振り返る
上野です。大学時代をつくばで過ごし、
2025年を振り返る。とてもいいお題をありがとう。2025年は仕事のペースを上げるべく気張って1年を始めたつも
剥製業は年度末納期の依頼が多いので冬が繁忙期、なので1月から
6月からは草刈りが始まる。自分の土地の管理とは別で、
秋、中型哺乳類(種名は配慮して省略)
以上、振り返ってみて。24年の被災直後と比べると当然仕事のペースは上がっているけど






