2025/01/21

1/21 雑記

二日酔い。気持ちを切り替えるために歩く。目的地は決めず、郵便ポストを目指して出発すると、自然といつもとは違う道に足が向く。心の声にできるだけ忠実に、効率を考えずに歩いていると心が軽くなり、身体も楽になる。友人が店をはじめるべく準備してるテナント、スペクテイターの事務所を通りすぎてコンビニ前のポストに投函。荷物がなくなり気分すっきり。歩きながら考えごとをしていたはずだけど、なにも覚えてない。

今日はどこにも出かけず家にいよう。たまった本を読んで、レコードを聴こうとするも一冊読み終えて、はやくも気持ちが外に向く。うーむ、どうしようかと一瞬悩んで自転車で外に出る。筑波大学を抜けて喫茶店でコーヒーを一杯。いい天気。春っぽい空気で気持ちいいけど、もうちょい寒くてもいい。16時になったところで本を閉じた。

2025/01/20

1/20 店日誌

あっという間に月の後半、来月の頭が見えてきえている。だからといって慌てることもない。なにかを恐れる必要もない。いつだって不完全だし矛盾を抱えているのが人間だ。細かい部分、些細な行いまでをも気にしてクヨクヨしていたらいい循環は生まれない。ソーシャルネットワーク上で目に入る事象は素通りしてもいい。(2024年1月20日)

1月20日、月曜日。いま配っている「ピープルブックストア日報」にちょうど1年前の頃のことが書かれている。去年の同じ日の日誌を読んでみても、気持ちがよみがえるわけでなく、つよい共感もない。「あっという間に月の後半」とも思わない。1月はじわじわ、ゆっくり時間が過ぎていくから特別だ。正月休みの期間がある上、新年を出先で迎えて、早々に体調を崩したことも大きいのかな。ようやく20日。まだまだ20日。今月にやれること、やるべきことは、たくさんある。

日誌によれば、去年の今頃は『ファースト・カウ』に感動しているのだが、今年はまだ映画館に行っていない。特段観たいものがないからか、なんとなくめんどくさい気分が先行している。

今日も通常営業! オンライン・ストア〈平凡〉にも動きあり。

2025/01/19

1/19 店日誌

1月19日、日曜日。昨日の開店直後、紙袋いっぱいの本を売りにきたのは常連Yさん。新刊書店でチョロチョロ立ち読みして気になってたやつ、田中小実昌のエッセイコレクションやガロ関連、こんな本出てたんだ! と驚くような本などなど。しっかり値をつけて金額を伝えると即承諾。そのまま数冊の本も買っていく。今度仙台に行くんですよーなんて聞かせてくれて、いいですねえ、行きたいなあと話しつつ送り出す。ああ、これだけで十分だなと思ったのだが……。

編集者は卑しいことはするな。要するに、奴隷の仕事はするなということを徹底的に教えられました。上から言われたことだけをするんじゃ奴隷の仕事だ、自ら考えてやれということです。(名田屋昭二)

買い取ったばかりの、坪内祐三・名田屋昭二・内藤誠『編集ばか』の鼎談が軽やかで、するする読める。自ら考えて、選択するってことが当たり前のこととして、広まってほしい。損得はあとまわしでもいいんじゃないかな。

とかなんとか言ってると、日はあっという間に過ぎていく。3月8日(土)、23日(日)、4月20日(日)に当店が関わる催事がある。会場はどれも天久保一丁目。4月のやつは恒例のあれ。去年休んだピープルズ・パークを開催する。いや待て、その前の3月の2本! しっかり暖めてきた企画なのである。

書籍に入荷多数! オンライン・ストア〈平凡〉にもご注目を。

2025/01/18

1/18 店日誌

エリック・ホッファーは「ものごとを考えぬくには暇がいる。成熟するには暇が必要だ。急いでいる者は考えることも、成長することも、堕落することもできない。彼らは永久に幼稚な状態にとどまる」と書いたそうである。(y.k)

1月18日、土曜日。知人から届く不定期便を読んでいて、うーむと唸る。ここでホッファーのいう暇とは「ひま」であり「よゆう」でもあるらしく、今の自分にはひまはあってもよゆうがない。どうしたものかと頭を抱えるのではなく、こういうときこそ根拠なき「暇」をかまして悠々としていればいい。近所の誰かが、どこで何した。遠方のアイツは相変わらず息巻いてる。まあ、それはそれ。オレに出来ることをやるのみだ。

盛り上がってなくていい、派手じゃなくもいいから、自分の興味にできるだけ忠実に。想定外の出来事もあるし感情がたかぶり、浮つくこともあるだろうけど、そればっかりは仕方ない。カッコ悪いところも受け入れつつやっていく。

今日明日、明後日は13時開店。お暇があれば、お出かけを。

2025/01/17

1/17 店日誌

1月17日、金曜日。インスタグラムが難しい。手ごたえがない。最近になって急にそう感じる。いいね、とかフォロワーの数だったり目に見える数字が要因なのかもしれないけど、ポストを重ねるほど「間違ってるかも……」という気がする。特段心を入れて書いてなくても、消しちゃおうかと思ったのは1度や2度じゃない。なぜだか、妙に恥ずかしい。むずがゆい。ああ、こんな気持 うまく言えたことがない。キヨシローが歌ってる。1980年の『プリーズ』を聴きながら書いている。

歌詞カードを開いて小さく驚く。その紙の外側には大きな字で「PLEASE,play it loud」と印字されている。そうか、「お願い。デカい音で聴いてくれ」って意味でのプリーズだったのか。それにしては音が軽い。モーニング・コールをよろしく。いい曲だな。たとえばこんなラヴ・ソング。キヨシローの声、すげえ良い。チャボのギター、カッコいい。

今週にはいって店が静か。おかげで本が読めるのは良いとして、19時過ぎると寒いし、人気もないしでさっさと閉めたくなってしまう。昨日もそろそろかなーってときに〈生存書房〉のフジタさんが来て、助かった。19時45分頃。

今日も通常営業! 本の買取など、お問い合わせはお気軽に。

2025/01/16

1/16 店日誌

1月16日、木曜日。いま読んでいるのは『ユリイカ』1月臨時増刊号。昨年逝去した福田和也を追悼する総特集で500ページ弱の厚みがある。論によってはけっこう硬質で、読んではいても、書かれたことの意味が十全につかめているかは怪しいところ。気にし過ぎずに進んでいって、残すは2~3割か。直近では、青木耕平「『作家の値うち』から読み始める 福田和也と冷戦後の文学」(p.311~321)に気になる箇所が多く、自分自身や同世代の同業者のことなどに思いを巡らせた。あとでもう一度読み返したい。

読み出してすぐ止まっているのが、滝田ゆう『寺島町奇譚』と川崎ゆきお『ライカ伝』。小林信彦『丘の一族』、永原康史『ブラックマウンテンカレッジへ行って、考えたこと』は買ったまま、1ページも読めていない。積読の小山を崩しながら、ちょこちょこと買い足し、別から持ってきたりもするから居間は片付かないまま。

店にいて目に入った本の写真を撮り、簡単な解説を付した上でオンライン・ストア〈平凡〉に上げている。数年前からあるものでも、並べ方、見せ方が的確であれば新鮮に見える。コツコツ手を入れる喜びもあるには、少なからず反応があるから。今後とも、平凡をよろしくどうぞ。

今日明日は15時、明後日からは13時開店。お暇があればご来店を。

2025/01/15

1/15 店日誌

1月15日、水曜日。ちょうど1週間前は風邪で寝込んでいた。もう、ずっと前の出来事のように感じる。さらにその前週は元旦。見ず知らずの土地の海沿い、断崖絶壁を歩いたり、陽が高いうちから風呂に浸かったりビールを飲んだりしていたわけで、異国の話みたいである。週ごとに時間の流れ方がまったく異なる。旅行も風邪も、体験としてはどちらも貴重。普通に過ごせる状態も同じことだ。

「これはパンクですか? ロックですか?」いきなり聞かれても答えられない。あなたは、どれが聞きたくて、なにに興味があるのか。順を追って質問してくれないと、こちらからは何も出来ない。ハァ〜まったく! オレも怒りたいわけじゃないんだが。

今日も通常営業! オンライン・ストア〈平凡〉にも入荷あり!