2026/01/06

1/6 店日誌


1月6日、火曜日。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの“スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイヤ”のイントロが脳内で再生される。ジャカジャカジャージャーとファンキーなリフを奏でるトム・モレロと目が合った(と思ってる)のは2000年の6月24日(土)の幕張メッセ、1曲目は“キック・アウト・ザ・ジャムズ”でステージ袖にリック・ルービンがいたんだよなー(事実かどうか未確認。誰か知ってる人いますかね?)と考えつつ歩いていると、いつの間にかスマップの“シェイク”に変わっていた。今日会わない? ってキミの電話〜。

定休日なんだけど開けてるのは正月休みもあったし、特別な予定もないからで、何なら明日は休んで湯浅湾のライブを観にいこうかな〜と考えている。真昼間の東京、お茶の水界隈を歩きたいんだよなァ。

そんなわけで、今日も営業中! お暇があればご来店ください!

2026/01/05

森本英人が2025年を振り返る

 ZINEを出しましょう。もちろん、ぜひやりましょう、という話をしながら、その実、ZINEというものがなんだかさっぱりわからない。ZINEフェスやアートブック・フェアに足を運んでみたけれどもやっぱりわからない。というか、ますますわからなくなってしまった。そもそも手に取って読んでみたいと思えるものに出会えていない。そんな状態がもう2年も続いていた。自分はなにか思い違いをしているんじゃないのか。

 夏が終わるころ、たまたま見つけたシカゴのZINE専門のオンライン・ショップでなんとなくおもしろそうなZINEをみつけたのをきっかけに、いくつかその手のショップを辿って、けっこうな量を買い込んだ。

 『1900年代初期のボストンにおけるイタリア人相互扶助組合について』、『移動式監獄展示バス:20世紀中期の少年犯罪防止方法』、『パレスチナのレコード・ジャケットのグラフィック・デザイン集』、『カントリーのもっとも有名かつレアなシングル盤「PSYCHO」の物語』、『ドラックにまつわるカントリー・ソング10選』、『シカゴ・リーダー紙所有のミュージシャン宣材フォト・コレクション』、『ヒップホップの黄金期におけるミリタント&アフロセントリックなロゴ&アイコン集』などなど。だいたい5ドルから8ドル、高くて11ドルといったところ。

 送られてきたZINEの、おそらくどれも自分たち自身で裁断、中綴じをして製本したらしい、愛くるしい無骨さに驚いた。

 『12月3日』というタイトルのZINEは、アメリカ中西部で1990年12月3日に起きると予言されながら、実際には起きなかった地震の騒動の記録。『キッチンから』は、教会や地域コミュニティの活動資金を得るために、アメリカの様々な地域で販売されていたクックブック(我が家のレシピ集)のコレクションと考察。『ポスチュマス』は、いまはクローズしてしまった、全米各地のローカル・ミュージック・シーンを支えたDIYイベント・スペースへの愛情溢れる追悼文集。『アントニア』は、自分が生まれ育った町に似ていると思えるようなものをいままで読んだことも見たこともないという作者が、その郵便番号もない小さな故郷の田舎町アントニアについて綴ったZINE。その町がとりたててユニークなわけではない。ただ「わたしが出会った田舎の描写は、親しみが持てず、あまりにも辺鄙だったり、あまりにも馴れ馴れしかったり、あまりにも単純で、あまりにも貧しく、あまりにも不気味で、あまりにもロマンチックすぎる世界のように思えた」。『フィッシュ・イン:1960年代の黒人とネイティヴ・インディアンの連帯』を読んで、1960年代当時、ネイティヴ・インディアンの団体が黒人の公民権運動からは距離をとっていたということをはじめて知った。その流れに逆らって、公民権運動に刺激を受けたネイティヴ・インディアンの若者たちが行ったある抗議活動に、黒人たちも連帯を示し加わったという記録を拾い集めたZINE。『逆さまのパンクス:フガジ・バスケットボール・リング・ショウの奇妙な真実の物語』は、ワシントンD.C.のパンク・バンド、フガジがデビュー直前に行った伝説のライヴの舞台裏を、イベントのオーガナイズなどまったく未経験だった当時19歳の主宰者に寄り添って描いたもの。彼はずっとライヴは失敗だったと思っていたし、その後二度とイベントを主催することはなかった。

 どれもとてもローカルで、ときにとてもパーソナルなテーマ、歴史のエアポケットに落ちたまま忘れ去られてしまった出来事にフォーカスしているのに、時間をかけて丁寧にホコリや泥を取りのぞいたさきに見えてくるものに、一転して親密な、現在の自分とどこかで確実につながっているという感覚を覚える。

 『なぜファシズムの時代に自費出版を?/その出版日記』には、ZINEの出版/ディストリビューションを行っている著者の活動がどのようにしてはじまったのかが記されている。それはアーティストの友人とランチを共にしていたときの次のような会話からはじまった。「莫大な冨と権力を持つ最低の連中にとって可能なかぎり役に立たないアートのかたちってなんだろう?」。著者が考えたのは「まずは7ドルのZINEからはじめてみよう」。

  僕が気になったZINEの出版や流通を手掛けている人たちの声を拾い集めていると、80年代後半のワシントンD.C.のパンク〜ポスト・ハードコア・ムーヴメントに少なからず影響を受けている様子が伝わってきてなんだかうれしくなってしまった。フガジを聴いて育ったティーンエイジャーが、それから30年以上たったいま、ZINEの制作、出版を楽しんでいる。素敵じゃないか。

 いくつかのZINEを読みをえたいま、その認識は半分間違っていたのかなという気もしてくる。むしろフガジやディスコードのDIY活動が成立しえたのは、そもそもこうした若者たちの存在があったからじゃないのか。

 アンダーグラウンドでもインディペンデントでも、オルタナティヴでもなんでもいいが、そこがメインストリーム予備軍の溜まり場だとしたら、僕にとってこれほどつまらないことはない。

「許可を待たずになにかをつくる自由を体験すること」

「アンコントローラブルであること」

なぜファシズムの時代に自費出版を?/その出版日記)

 ZINEという手法でしか伝えられないものがあるということを、やっと実感できた気がしている。アンダーグラウンドにもインディペンデントにも、その存在をかけて貫くべき本分、守らなくてはならない領域というのものがあるはずだ。

惣田紗希が2025年を振り返る


2025年はいろいろなことから10年が経ち、それぞれのそれからの10年目に立ち会い、自分でも10年ぶり、それ以上ぶりにやってみることが多い年だった。10年以上個人のまま仕事をやっていると、今現在が過去の仕事に責任として反映されていくような気もするし、流れ去っていくものが大半な気もするし、そんななかで何がどう積み重なっていくのだろうと思う。

年始に本棚に入らなくなった本を整理して、売るなりなんなり処分してもいいかと思った本を振り分けてみたら山のように積み上がった。ここ数年、グラフィックデザイナーやイラストレーターや建築家が足利に移住してきているという状況を間接的にぼんやり把握していたので、その人たちに声をかけて古本イベントをやってみるかと企画。ただただこの本の山を処分したいという一心で。

とりあえず同級生のデザイナーの鶴見と、鶴見とオフィスをシェアしている建築家の丸さんと、イラストレーターの村松くんに声をかける。村松くんはPEOPLEの民、河合浩さんから足利=惣田と聞いていたらしい移住者で、つくばとの縁がある。村松くんは欠席となったけど、鶴見と丸さんのオフィスを会場として使えることになり、GO ON牧田さんとサトウタクトくんに声をかけ、ashikaga social spot と銘打ってとりあえずやってみた。

やってみると、出店者も来場者もそれぞれ個人の文化を持ち寄るみたいな感じでおもしろかった。イベントを終えた日の夜に15周年だったマーラーズパーラーにタクトくんを連れて行ったら、さっきまでのイベントでは見なかったとびきりの笑顔を輝かせ、全員初対面にも関わらず10年友達みたいな絡みと面構えをしていておののいた。「この感じPEOPLEに近いかも!」と大声で言っていた。

それ以降、個展と仕事で4月以降は毎日締切フルマラソン状態で、ドタバタ駆け抜けていった。その間、ashikaga social spot 第二弾を牧田さんとタクトくんが企画してくれて、ただ楽しみにしている人となる喜びを味わう。


第二弾に牧田さんとタクトくんが揃えたのは、つくづくの金井さん、PEOPLEの植田さん、pottmann、そして足利のフレッシュ枠の速水くん。

PEOPLEには2014年に河合さんの展示を目的に初めて行って、それ以来ちょくちょく通うなか、いつだったか白い紙に青い線画の絵が印刷されたポスターを植田さんが指差し、「最近この人おもしろいよーサトウタクトくん」と言っていたのを覚えている。更にある日、マーラーズパーラーで牧田さんと打ち合わせした時、牧田さんがタクトくんデザインのつくづくTシャツを着ており、タクトくんが足利に移住してきたことを植田さんに聞いていた状態で「これを足利で着て歩いてたらサトウタクトくんに気づいてもらえるかも!」と言っていた。その時は、遠回りすぎでは? と思いつつ、一連の流れを全て伏線回収するような日となった。打ち上げでは金井さんと植田さんがジジイぶりを発揮していてやかましかったけど、片付けを終えて合流した牧田さんがそのふたりの上を行くやかましさで全てを覆い尽くしてきたので、金井さんがおとなしくなっていた。

コロナ禍以降全然行けていなかったPEOPLEの品揃えは足利でも輝いていて、ひとつの興味が水切りの石のようにビュンビュン飛んでいくような楽しさがあった。やはりお店に行かないとだな。SNS上の情報や流れを受け止めきれないというか、考える余地よりも即座の反応が求められているような感じがしんどくなると、アプリを消して距離をとるようにしている。紙やブログ、対面では話せることや受け取れることが増える。わたしは対面ではめちゃくちゃ顔に出るけど、SNSで見えてるところだけで理想を固められても困る。そこに辿り着くまでの移動を経て、実存を確かめ合って、それから少しだけ対等でいられる時間を過ごせるようになるのかもしれない。また2026年もなにかやれたらいいな。

写真:打ち上げのあと雨のなか拳を振りかざし宿に向かう植田さんと見守る牧田さん

キングジョーが2025年を振り返る


2025年を振り返ると、2月に転職して夜勤中心の生活になったことが自分にとって大きな変化でした。

夜勤明けに帰宅してひと息つくと、平日の昼間に自由な身であることが嬉しくやたらと映画館に行ってたような気がします。

『シビル・ウォー』『サブスタンス』『愛はステロイド』『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』と、残忍もしくは陰気で自意識こじらせたようなやつ、他人への共感能力に決定的な欠如のあるやつが出てくる映画ばっかり観てたように思います。

決定打は『ボディビルダー』。劇中、主人公による陰湿な意趣返しのシーン。そのシーンでラジカセから流れる音楽に上記残忍or陰気映画が一本の線でつながった気がして、その線が「現在のダークサイド」を象徴しているように思えて、震えました。

※その反動で、友人のDJ薬師丸さんにお勧めされた映画『シャドウズ・エッジ』を観た時、齢70でまだまだ元気にスタントをこなすジャッキー・チェンに心が洗われるようなスッキリとした気持ちになりました。敵の「影」と呼ばれるおじさんも又良くて。老いも若いもAIも皆で力を合わせて悪を倒して。かと思ったらラストで根絶ではないことが雑に暗示されて。


あと大きかったのは、10年近く集めてたタイのレコードでミックスCDを作ったこと。アジア音楽と文化を“タムブン”の精神で伝えるメディア”てんぱりてんぷる”やタイ音楽DJのKO MEGさんによる活動を見て「おれもなんかしたい」と思い立ったことがきっかけでした。これが当初思ってたよりも沢山の人に聴いていただけて(ありがとうございます!)嬉しいよりもビックリしました。

※ちなみに大阪は淡路の自転車屋兼サムシングを売る店タラウマラに本ミックスCDを卸しに行った際、偶然店内で居合わせた植田さんを店主土井くんに紹介していただいたのがご縁で今にいたります。

「ミックスは三部作にしよう」と決めてたのですが、それほどタイのレコードを沢山持ってる訳でなく(普通だとなかなか買えない)(筆者はタイに行ったこともない)、キラー曲は根こそぎ最初のミックスに入れたんで「2作目でクオリティが落ちたよね」「まあしゃあない。ジョーもよう頑張ったんちゃう」と言われるのも嫌なので、続編の為に秋以降はオークションを中心にタイのレコードを探しては買いを繰り返してました。特に現地から出品してくれる日本のディーラーの方からよく買ってたのですが、タイから送ってくれるのでうちに届くのに10日弱かかるんです。待つのも楽しいものですが、そうして待ってる間にその人が又良いレコードを出品するんで、待ってる間にまた買って、それの到着を待ってる間にまた・・・みたいなことがずっと続いて先週ようやくひと区切りつきました。これから最終の選盤と曲順を練ってライブ録音に挑みます。上手に繋ぐことができるか、今から不安です。

タイの音楽、ほぼ情報が無い(探せばあるけど)上に、文字も読めない(ひと手間かければ判読できるけど)のでオークションにリンクされた試聴ファイルをじっくり聴いて判断したり、試聴不可能の場合はオークションに添えられた紹介文を必要以上に信用して、イチかバチかに賭けるような買い方をしてます。燃費は悪いけど、「すごい!」と思える曲に出会えた時の、脳汁がドバドバ溢れるような興奮の迸り、驚きと発見は趣味を超え最早や生きがいとなりつつあります。


タイ以外にも盟友の佐藤マタが手ほどきしてくれるインドネシアの音楽や、昨年の盆に度肝を抜かれた朋友・長谷川陽平の回したトルコのサイケロック(陽平氏は大韓ロックのオーソリティでもあります)、そろそろ手をつけたいシンガポール界隈のア・ゴーゴー、映像も込みで観たい知りたい聴きたいボリウッドもの他、アジアの音楽への興味は日増しに膨らむばかり。

心を揺さぶるカッコいい曲に少しでも多く出逢うこと、それを大きい音で回して誰よりも踊り狂うことが今年の目標です。

(キングジョー)

1/5 店日誌


1月5日、月曜日。さあ、ようやく! 「2025年を振り返る」の記事がすべて集まった。合計20人。それぞれの角度、方法で1年間をまとめてくれた。元旦から公開を始めて5日目だけれど、だいぶ長い距離を走ったような気がするのは、みんなのテキストの力ゆえか? 単に公開作業に疲れただけか? どっちでもいいのだけれど、手応えは大きい。参加してくれたみなさん、ありがとう。読んで、感想をくれた方々にも助けられた。読んでる人がいる、そう実感できるのが一番の力になった。

今日は11時~13時~15時のペースで3人の記事を公開予定。中村くんが本編ラスト、アンコールで強力な3曲を。全記事をアーカイブするので、気になったものから、時間のあるときに読んでほしい。

今日明日は11時から18時までの短縮営業! 古本の入荷多数〜!

2026/01/04

中村友貴が2025年を振り返る


『2025年は簡単に終わらせてくれない』


旅をしてました。

あちこちに出向く、現実の旅もそうなんだけど、自分の中に潜る内向きな旅を。

それがいいことだったのかは、現段階では判断できない。


観に行ったLIVEやDJ、パーティー、企画した展示や音楽の場、会った人、喋った人、お店に来てくれた人、初めて足を運んだ店に通っている店、訪れた遠くの場所、そこで会う友人たち。それぞれの場所での一瞬は、きらめく思い出深い名場面が、2025年もたくさんあった。そういう時は、心底楽しんだのだと思う。その一方で、ある時期から何か晴れない気持ちがずっと心につきまとい、それに飲まれてドツボにはまって、正直に言うと、2025年の後半は、ずっと元気じゃなかった、ように思う(とか書いちゃうと気を遣わせてしまいそうだが、いつも通りで大丈夫です!)。


何気ない会話のなかで「もう35歳なんだよね(実際には2026年の3月)」と発した瞬間に「アレ?」と思った。35歳を急に認識、意識してしまった。いやいや、人生の半分きてしまったぞ。ちゃらちゃら遊んでもいられないぞ。時間も無いくせに金もびっくりするくらい無い。体力はまだあるが、このペースで店を続けられるのもあと何年だろうか?猫は可愛いが、猫だけでは埋められない何かも、ある。全然何も出来てなくね?このままでいいのか?俺は。よくなくない?どっちなんだ。みんなどうしてんの?


“こっちの道”を選んだ時から、いわゆる幸せとは、また別の幸せがあると信じて、ちょっと盲信気味で生きてきてしまったが、ここにきて、急にブレが、揺らぎが、焦りが、生じてしまった。じゅうぶん楽しいし、今が幸せなのもわかってんだけどね。猫も可愛いし。恥ずかしい話が、この歳になって完全に思春期がぶり返してしまい、忙しさによるhighも手伝って、感情の起伏が荒波のようにコントロール出来なくなってしまった場面も多々あった。店と、少数の友人が、ギリ繋いでくれた。いい歳して、大人の振る舞いが出来なくて、吐露した感情や自分の態度に、厳しい言葉を貰う時もあった。言う方からしたらたまったもんじゃないし、それなりにちゃんと落ち込んだりするけれど、めっちゃありがたかった。初めて、己を見つめ直し、変われぬ苦しさを味わい、変わりたいとも思った。「俺は俺」だけじゃダメな年齢になってきたんだぞ、お前は。とは言え、友人とのやり取りの中でどんどん歯車が噛み合わなくなってきた俺に言われた一言は「深刻すぎ!!」。マジでそれだった笑 そんな時は陽気なラテンのオジサンを憑依することにしよう。


そんななか物凄い勢いとスピードで企画・制作したのが旅と多動のマガジン『珍珍道中』で、2024年のイケイケの旅を振り返ることで、良い意味で自分の店を見つめ直すきっかけにもなった。結果、店の純度を深めるために県外での出店はしばらく休み、店以外のプロジェクトは極力断つ決断をした。制作期間、人生で初めての経験なんだけどhighになり過ぎて不眠になって、あ、コレはいよいよマズイぞと本気で思ったが、これを2025年に作って本当に良かった。協力してくれたみんな、買ってくれた人たちありがとう。今はちゃんと寝られています。


そう、このマガジンのレビューを植田さんがブログに書いてくれて、とても嬉しかったんだけど、そこでも言及していて「さすが鋭い!」と思ったことがあって、多分、こういう生き方と〈食堂 湯湯〉という店の第一章が、ゆるやかに終わったんだと思う。それは「初期衝動だけでやること」の終わりでもあったはず。熊本で大切な友人で先輩が天国のような店をやってるんだけど、今年「2周年祝いにあげるけん」と貰ったレコードを(ちなみにKOHEI JAPAN「夜の狩人 featuring キエるマキュウ&宇多丸」)、悩み出した時期に何気なく引っ張り出したら手紙がついてて「2歳はイヤイヤ期」と書いてあって、くぅ~!!何でもお見通しやないかい!とクラい、改めてこんな先輩には頭が上がらないと思った。


こんな感じで内面にばかり深く潜ってクヨクヨばかりしていた今年の後半だったので、植田さんから今年もこの原稿の依頼があって、ハァ…暗くなっちゃうなァ…なんて考えながら、書く内容、書きたいことは頭にあったから、あとは書くだけ!書いたら2025年が締まる!と思っていたところ、12月の27日に、その人は突然店にやってきた。


憧れの…ってのも変だけど、店をやるにあたって、その思想、文章に多分1番くらい影響を受けている“憧れ”の飲食業界の人がいて。“憧れ”のタイプは色々あれど、ちょっと離れた距離からその人の言葉を享受できたらいいかな、会いたくはない、わざわざ会わなくてもいいと思っていたのは、やはりその人が“めんどくさい”の一言では片付けられない一筋縄じゃいかなさと鋭さ、ある種の嗅覚と自分の言葉を持ち合わせているからで、うーん、好きだけど会わんで良し、交わることもきっと無いだろうし、とずっと思っていた。ジャッジされるのが怖かったのかもしれない。まあ、その人がこの年の瀬に急に店に来て、飯を注文しているのである。本物だ~とか思っていたより大柄だ~とかアホみたいに思いつつも、いつも通り作って出す。

その方はとあるプロジェクトの件で、その話をしに来てくれたってのが食後にむこうから話しかけてくれてわかったんだけど、その話もやはり一筋縄じゃいかなくて、鋭くて、本で出会うその人のまんま、ロックスターじゃんって思った。そして、ひとしきり話したのちにこう切り出した。


「58にもなると(僕の作った「鶏の汁かけ飯」を)美味い、とも言い切れない。けど、美味いロック飯がきたって感じです。台湾には研究の余地がある。言葉じゃなくて響く美味さ…みたいなのが、台湾のジーサンの食堂とかにはある。んん~まあ、美味かったです。また会いましょう」と言って帰っていった。一筋縄じゃいかねえ~!ホンモノだ~!要は、その人にとってはあまり美味しくはなかったって初対面の僕に面と向かって言ってくれたんだけど、ちゃんと言うし、正直だし、見透かされたし、こちらの知らない世界にも繋がるヒントもくれた。多分ずっと数字じゃない「美味しい」とは何かを考え続けている人。だからこの人の言葉や文章、センスや捻くれ方が好きなのだろう。2025年にまだこんな瞬間があるとは思ってなかったぜ。


※ちなみに「鶏の汁かけ飯」に関しては美味しくなり過ぎないように作っているフシがある。多分突き詰めていくとラーメンの過剰さになるような気がしているからだ。朝から過剰な美味しさのラーメンは不必要だと思っているから。でもやっぱりその人もだし、いつものお客さんもだし、「美味しい」ってことが何よりも「正しい」とは思う。台湾には、ラーメンとは違う世界線の「美味しい」があるのか、その人が足りないと思ったのはなんだったのか。一度会ってしまったから、続きを話してみたいと強く思っている。そして台湾にも行かなきゃだな。


ここまで書いた現在、大晦日の20時36分。初めてバイトを雇いたいと思った程の激混み営業後の片付けもままならないままの買い出し、仮眠(ここ数日はずっと寝不足だった)、温泉、からのこの原稿。これから片付けをして、仕込みをする。元旦も営業なのだ。このままだと年越しそうだな。2025年は、全くもって、簡単に終わらせてくれなかった。


中村友貴(食堂 湯湯)

上野郁代が2025年を振り返る


上野です。大学時代をつくばで過ごし、まだ本屋をやってない植田さんと知り合いました。植田さんはママチャリに乗ってるとバカにしてくる大人でした。大学では油絵を専攻していましたが今は鳥や動物の剥製を作る珍しい仕事についています。油絵はあまり真面目に勉強できず、卒業目前になった時にもうちょっとちゃんとしたい、手に職をつけたい、就活したくない、将来的には自営業一択だ!!と考えて何故か剥製屋がいいな、絶対向いてる!と東京の剥製屋に勤め始めました。周りは2,3年で辞めるとヒソヒソ言っていたと後になって知り、それはそうだよなと笑ってしまったけど一応10年弱働き、2022年に故郷の石川県は輪島市に戻って開業しました。山と海が綺麗な過疎地、能登半島。24年の大地震の被害は幸い小規模に収まり、まあ瓦屋根はまだボロボロですが取り敢えずはつつがなく営業しています。屋根を保護するブルーシートは2年経てば流石に朽ち、破片が庭に散在している。今年の11日はそこそこに雪の正月でした。元気に雪かき、黙祷。

 

2025年を振り返る。とてもいいお題をありがとう。2025年は仕事のペースを上げるべく気張って1年を始めたつもり。とにかく開業して丸2年、仕事の進みの遅さに反省することばかりだった。雪かきや草刈りなど一軒家の管理に慣れていないことや仕事場の整理整頓が不十分なこと、自宅兼仕事場という素晴らしい環境でついついゆっくりしてしまうことなど原因は色々あった。被災から1年で、まだまだお客さんから気を遣われる立場だったけど地震の影響はもうなかった。雨漏りしている天井裏に登ったらアップダウン激しくて一気に筋肉痛とかはあったけど。あとネコを2匹飼っちゃったり。これは地震前からですが。すごくよく話しかけてくるんですね、室内飼いのネコって。剥製に噛みついたりせずいいコです。遠方の友達も以外と遊びに来る。何泊でもしていいよとか言って海で遊ぶ。お気に入りの海が地震で隆起して陸になってしまい涙。泳げないなら、とダイソーで釣竿を買っちゃう。遊び終わったら疲れて寝る。で、もう心配になって作業日誌をつけ始めた。私はいつどれくらい働いているのか?素朴に疑問だった。


剥製業は年度末納期の依頼が多いので冬が繁忙期、なので1月からの記録を見返すと思ったよりよく働いている。2月は大雪だったけど、午前中に雪かきした後もへたばらずにカメとハトの皮を剥いているじゃないか。カメは腹甲を開けるのが大変だし開けたらすぐ内臓で気持ちが下がるし、ハトは皮が薄くて肉がネバ付いていて凄く面倒なのに、さすがだ。その後もハイペースで制作している。大雪が過ぎ去って春が来た時の喜びはすごかった。オオイヌノフグリの群生がとても綺麗で春の尊さを感じた。だからか分からないけど仕事はあんまり進んでないね。釣りに行ってます。釣果は小さいカサゴ1匹、リリース。あと大型剥製のクリーニングのために出張に行っています。詳細は書けないけど同業者と関われる珍しい仕事で楽しかったな。色々な情報交換ができた。狭すぎる業界で頼れる人がいるのは嬉しい。ちなみに前の職場だった東京の剥製屋は私の100倍くらい忙しくしている。


6月からは草刈りが始まる。自分の土地の管理とは別で、どうやら国の事業らしい中山間地域に数ある休耕田をいつでも復帰させられるよう主に草刈りをして管理する重労働、が始まる。毎週末しかも土日両日使ってみんなで元気に草を刈っている。好んで参加している(※日当は出ます)。奥能登豪雨で被害を受けた米農家さんに一部提供できたので重労働の意義はあった。しかし日誌の記録はスカスカなので、恐らく疲弊して働いてないのが居た堪れず放棄している様子。唯一オオサンショウウオ交雑個体のみ記録。実は初めて作る両生類!制作例が国内に多くあるのであまり身構えなかったけど結構大変だった。リベンジしたいなあ。そして夏は爬虫類をめっちゃ作ってますね。鳴き声が小さいから集合住宅でも飼いやすいというよく分かんない理由で飼育者が増えているそうです。問い合わせの度に種名を検索して、初挑戦ですけどいいですか?と断って受けることが多い。鱗や皮膚の質感、そもそも形状が個性豊かなので結構楽しい。しかしレオパなどのヤモリ系は皮膚が薄くて難しい。ご了承ください。


秋、中型哺乳類(種名は配慮して省略)の制作に思いのほか手間取り、それが1ヶ月ほど続いたところで記録を放棄、なんとそのまま年末まで空欄が続く。一応書いておくけど中型哺乳類は苦心の甲斐あって納品先にとても喜んでもらえた。安堵の気持ちで良かったー!と叫んだ。その拍子に苦心の記憶を無くしてないか心配になる。この時の話ではないけど、10年東京で働いた記憶がリセットされたのかな?と思うくらい初歩的なミスをよくやった2025。そして再びの冬、やはり年度末納期の依頼に現在進行形で追われているのでよく働いたという実感で終えることができた。年末にまとめて鳥を作る。納品先は茨城です。この企画にあたり写真を1枚添えること、と言われたので何体か撮影してみました。糸でぐるぐる巻きつかれているのは羽が浮いてこないようにするため。針は皮が浮かないよう固定したり、糸の支柱にしたり。鳥は状態が良ければスムーズに作れるので楽しい。作業中に道具を床に落としまくり、なんかこういうこと前からよくあるなーとぼんやり考えてたら90×60cmの作業机がちょっと小さいことにやっと気付いた。2026年は120cm幅のものに変えてみます。


以上、振り返ってみて。24年の被災直後と比べると当然仕事のペースは上がっているけど、もうちょっと沢山作れるといいですね。もっとリズムを整えて、夏に死ぬほど遊びたい。書きながら、ちょっと前まで私の剥製技術の天井は正直もう見えてると思ってたことを思い出した。別にそうでもなかったので頑張ってほしい。制作の機会が少ない中型以上の哺乳類、鳥類の経験が増えるといいなと思う。また同じ季節が巡ってくると思うと嬉しいです。