阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。(内田百閒)
6月12日、木曜日。なんと素晴らしい書き出しだろうか。内田百閒『阿房列車』(ちくま文庫版・内田百閒集成1)の冒頭、「特別阿房列車」に胸がときめく。さあ、グイグイ読むぞと意気込むと、これがなかなか難しい。テンポが合わない。切符を買うのに手こずり、同行者と問答したのち昼酒を飲み出す。ビールを飲むグループを嫌悪しながら、自分もウイスキーを飲む。なんとも狷介、偏屈な百閒なのだが、嫌ではない。むしろ面白いのだけれど、ページはなかなか進まない。
「時候がよくなって、天も地も明かるい。又阿房列車を運転しようと思う」。次なる「区間阿房列車」の書き出しも好ましくて、ワクワクする。でも、スムーズに読んでいける自信はない。約70ページ。焦らずに進もう。
ついさっきコンビニで見かけたポパイの特集は「僕らにちょうどいい古着」。自分は特別に古着が好きなわけじゃないけど、最近は〈古着屋may〉でしか服を買ってない。気取らず、気張らずに服を選べる環境があるのがありがたい。さて、「ちょうどいい古着」とは何なのか。値段? 品質? 年代? それらのバランスってことなのだろうか。
今日も通常営業。古本はもちろん、新譜や中古音源にも入荷あり。
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