2026/10/09
10/14 店日誌
2026/10/08
10/8 店日誌
特別な場所や時間に居合わせなくても自分ではじめればいいのだ、というのがパンク/ポストパンクのいちばん重要な教えだ。(野中モモ)
パンクが起爆剤だったことは間違いない。しかし、ポスト・パンクとは、日本語でそれを意訳すれば“パンクを通過した脱パンク”ということである。“できない”からこそ“できる”のだ。音楽の訓練を受けていないからこそアイデアが生まれた。(野田努)
10月8日、木曜日。ここのところ、パンク/ポスト・パンクについて書かれた書物に励まされ、力をもらっている。本屋としても編集、出版人としてもド素人。わからないことばかりだし、つくった本をスイスイ広げていくための方法も知らない。そもそも売りやすいものじゃないし、多くの人に伝わるものじゃないと言ってしまえばそれまでだけど、そうやってごまかすのはカッコ悪い。というか、著者に対して失礼だ。つくった本に対しても、無慈悲すぎる。ぐっと持ちこたえるために、上記した言葉たちが必要なのだ。
パンク・ロックって、すぐに定型化してしまって、それじゃパンクじゃないだろってことで、ポスト・パンクになるわけです(…)。(野田努)
定型からいかにして逃れるか、本線から脱線するのも、けもの道を走るのにもエネルギーが必要だ。そのため必要なのがアイデア、センス。へこたれないためのバイタリティ。自分がそれを持っているかはわからない。とりあえず走ってみるしかないだろう。
別冊ele-king『UKインディ・ロック入門 ──ポスト・パンク、ギターポップ、スカとダブ編』と『パンク50周年記念号 それは何だったのか、何でありえるのか』は店頭とオンライン・ストア〈平凡〉で販売中(……って宣伝かい! と思われるかもしれないけど、どちらもいい本なんですよ)。
ってなわけで、今日も開店。お暇があればお出かけください。
2026/10/07
10/7 店日誌
2026/10/06
2026/10/05
10/5 店日誌
10月5日、月曜日。誰に強いられたわけでもなく、この1週間で『電気グルーヴのメロン牧場──花嫁は死神』①〜⑦を通読し、4日間つづけてザ・ハイロウズのレコードを聴いていた。前者は途中でやめたくもなったりしつつ、7巻にたどり着き、まさかの泣きの展開に言葉を失った。結論としては───電気グルーヴには近づかない方がいい。少なくとも自分は、彼らの音楽の楽しみ方を知らないし、音源を買いたいとも思っていないわけで、遠巻でスゴいな〜と見てるくらいでいいのである(電気グルーヴが、超特殊で稀有なコンビであることは、よーく分かったつもり)。
ハイロウズに関しては、きのうまでの4日で書いたことをベースにして、今後もちょこちょこ聴いていきたい……のだけど! クロマニヨンズを聴かなきゃダメだよなあ。現役で動いているバンド、彼らの身振りに触れなきゃいけないのは分かっているのだが。
そうです。近い、と思いました。自分と地続きで、近い距離感。だからその延長線で、ニューヨーク・パンクが入ってきた。あの人たちもみんな近い。雑誌で見るロックとは違った。(Phew)
今朝、ele-king別冊『パンク50周年 それは何だったのか、何でありえるのか』を読みはじめて、Phewのインタビューに引き込まれる。「音楽はダメだし。佇まいもダメ」なニューヨーク・ドールズのライブで感じた距離感、素人臭さ。ロンドンパンクは「同年代のバカなヤツがワルさ」してると直感、現地で「ほんとに、ほんとにバカなヤツが(笑)」がやってるのを確認する。つまり、パンクとは見るものではなく、やるべきもの。自己で獲得した実感をもとにアーント・サリーを結成する流れがヴィヴィッドに伝わってくる。
いま考えるとほんとに贅沢なことだった。「ノー・フューチャー」って言えたっていうことが。それを思いますよ。いま、もう、言えないでしょう。
インタビューの末尾近くではきだされる感慨が、ズシリと重たい。「パンクを語るドン・レッツにしてもマッシヴ・アタックにしても大金持ちじゃないですか。だから、イギリスの下の世代の人たち、すごく冷ややかな感じですよ」なんて言葉と響き合って、腹に応えた。
じゃあ、今日も開店します! お暇があれば、ご来店ください!

