2026/09/15

9/15 雑記

ちょっとした用があり、駅ビルに入っている新刊書店に足を運んだ。図書カードにいくらかの残額がある。今日は何かしら買ってやる! なんなら複数冊でもいい、とにかく本が買いたい。そんな気分にまかせて棚をみていて、まず目に入ったのが細馬宏通『浅草十二階』。次に、澤野雅樹『ドゥルーズを「活用」する!』が目に入って「わ!」と声が出る。なんと、買えるようになったのか……べらぼうな古書価になってたし、これは嬉しい。音楽コーナーを覗いて目に入ったのが、横田勇司+野田努『UKインディ・ロック入門 ──ポスト・パンク、ギター・ポップ、スカとダブ編』。欲しい本ばっかりだ。

しばしの逡巡のち、『UKインディ・ロック入門』を選び、図書館に移って読みはじめる。冒頭の3篇「UKインディーズの時代」(野田努)、「地上より永遠へ 世界に届く音」(横田勇司)、「すべてはここから始まった───ラフ・トレード史」(野田努)にガーンと頭を打たれたようなショックを受ける。とくに下記の一節に。

(註:ラフ・トレードの創業者、ジェフ・)トラヴィスがショップに興味を持ったきっかけは、サンフランシスコの書店〈シティ・ライツ〉にある。ビート・ジェネレーションの聖地として知られるそこは、単なる「本を売る場所」を超えた、既成の商業主義とは一線を画す、オルタナティヴな文化や政治思想の発信地だったのである。(野田努)

そうだ、オレはこういう場所をつくりたくて、店をはじめたんだ。ぐっと引き込まれて胸が高鳴る。本を読んでて、時間を忘れたのはいつ以来だろう(実際、妻からのメールにまったく気が付かず、電話がかかってくるまで没入していた)。図書館にいたのは真っ昼間。われに返ると急に腹が減ってきた。

2026/09/14

9/14 店日誌

9月14日、月曜日。全日本冷し中華愛好会(編)『空飛ぶ冷し中華』Part1&2、月刊宝島編集部(編)『VOW(まちのヘンなモノ大カタログ 現代下世話大全)』1~3、山本周吉(編)『本に狂う 草森紳一ベスト・エッセイ』、華倫変『完本 カリクラ 華倫変倶楽部』、矢野利裕『今日よりもマシな明日 文学芸能論』、仲俣暁生『ポスト・ムラカミの日本文学』。直近で買い取ったものから、比較的タイトルが長めの9冊。書き終えて眺めると、 高密度でギュウギュウ、息苦しさすら覚えるのだけど、本そのものは軽やか。パラパラめくるだけでも面白い。

毎日毎日、本を触って、値をつけて棚に出している。ひとやま、やっと片付いたーってときに、買い取りお願いしますー! って人がきて、アワアワする。古本屋ってこういう仕事なんだろうか。困ってるわけでなく、不平を言いたいわけでもなく、なんか不思議だなーっと感じている。本の循環があるならば、売り先を増やさないといけなくなる。そろそろ、次なる展開が生まれるのだろうか。

*
きのうの午後、雨が止んで、店前に本が出せた! 100円〜500円の本と雑誌を店前にどーんと並べると、立ち止まる人がいて、流れで店に入る人もいる。するっと帰ってもいい、なんとなく興味を持ってくれるだけでも嬉しい。本を売りつつ、いろんな方と声を交わして、ときにじっくり話をしたり。店にいるのは面白い。

では、今日も開店しますー! オンライン・ストア〈平凡〉もよろしくどうぞー。

2026/09/13

9/13 店日誌


9月13日、日曜日。溜まった空き缶を捨てるついでに買うものはなんだっけ? えーと、ハミガキ粉とティッシュ、あとリップクリームも欲しいんだ。ハミガキ粉、ティッシュ、リップクリームと唱えながら店を出て、大通りを渡ったところで気がつく。空き缶忘れた。そもそもの目的だったのに。まあ、明日捨てにいけばいいかと気を取り直して歩きだす。稲刈り寸前の田んぼを眺めつつ、公園で白いキノコを撮ってる人を横目に進んでいってギョッとする。なにこれ、めちゃ繁殖してるじゃん……あちこちに群生してて、ちょっと怖かった(もしかすると、オオシロカラカサタケって毒キノコだったかも)。

店に戻ってくると、10時ちょい過ぎ。ラジオでは「子ども科学電話相談」が放送中。学校が苦手だったの、わたし。そう話しているのは大日向雅美先生。この方の語り口は上品で独特、話しているとつい耳を向けてしまう。学校に行くのが辛い、しんどい子どもたち向けのメッセージが続いている。

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きのうは、ずっと曇りで雨はほとんど降らず。そろそろ晴れてほしいんだけど、今は霧雨、空はどんより。天気予報では午後から温度が上がるとか、晴れ間ものぞくと言っていたけど、どうなるかな。

今日も通常営業。本の買取、在庫確認などのお問い合わせはお気軽に。

2026/09/12

9/12 店日誌


9月12日、土曜日。先月の南浦和にはじまって、今月の古河、来月は益子、北茨城の催事にも参加する。もちろん本屋として出向くわけなのだけど、誘われるときに「カルチャーのある本屋、ピープルに」みたいな感じで言われることが多くて、ちょっと戸惑う。新刊書店、古本屋、ZINE専門……業態問わず、一定以上の量の本を扱っていれば、カルチャー(っていうか文化)は付随するはずだと思うから。うちの店はレコード、CD、Tシャツとか書籍以外のものも多く扱ってるから、そう思われるのかな。

とくだん不満を感じてるわけでなく、言葉尻をとって絡みたいわけでもなく、カルチャーって言葉の扱われ方が不思議だなーっと思ってるという話です。大手雑誌とかでも変な風に使われてる気もするしなァ。

そう! さらっと書いたけど、開店以来、こんなにあちこちに出向くことはなかったのである。しかも連続して。加えて、18日出来予定の山名昇『正岡子規はバイトなどしない 副読本●『寝ぼけ眼のアルファルファ』について』の行商&納品ツアーもある。張り切りすぎず、されど熱をもって! あちこちに出かけていきたい。

では、今日も開店! 雨もちょっと弱くなったような気がします。

2026/09/11

9/11 店日誌


9月11日、金曜日。長靴をはいて家を出たのが8時38分。傘をさして、ぐいぐい歩いて、店に着いたのが9時18分。ぴったり40分。金曜日のふんわりは苦手なので(ついでに言えば火曜も……)、『ズビズバー』を再生する。このCDを買ったのは今年の頭だったか、はっきり覚えていないのだけど、しばらく聴かずにいたのを聴いてみたら、すごーーく良いのだ。1曲目の「アマドコロ摘んだ春」からぎゅっと胸を掴まれる。ピアノとヴォーカル、たまに弦楽器。編成はシンプルながらも曲調に幅があって、まったく飽きない。

ズビズバーは今日、天久保1丁目の地下スペース〈aNTENA〉でライヴがある。店からは遠くないし、なかなか観られる方々じゃないのは分かってる。でもさ、この連日の雨! いまも降ってる。どうも出かける気を無くさせるんだよなァ……はて、どうなりますか。

こんなにも雨が続いたのはいつ以来だろう。とうぜん店も暇になるわけで、読書がはかどる。直近で読んだのは、中島岳志『縄文 革命とナショナリズム』。その前には上野千鶴子・小倉千加子・富岡多恵子『男流文学論』、佐藤正午『書くインタビュー』①〜⑥など。こういうとき、読書日記をつけてると便利だなーと思う。

今日も通常営業! オンライン・ストア〈平凡〉にも動きあり〜!

2026/09/10

9/10 店日誌


9月10日、木曜日。8時58分に玄関を出て、燃えるゴミをぽいっと投げて自転車で走りだす。水たまりをよけつつ、スピードを出しすぎず、のんびり進む。郵便局ATMで入金3件(トートバッグの新色をつくります!)、発送3件を済ませて店に着いたのが9時22分。ラジオをつけるとディランⅡ「男らしいってわかるかい」が流れてる。じゃあ次は……と流れたのは、休みの国「追放の歌」。オクノ修さんがカバーしてた曲、オリジナルをはじめて聴いた。ふんわりの木曜日、ゲストは大塚まさじさん。

友部正人「大阪へやってきた」もはじめて耳にする。驚くほどにディランじゃないか。でも、真似ごとでは終わってない。街に歌いたい場所はなく、求人広告を握りしめて歩いてる。貧乏人。避難民。インターチェンジ。沢山の言葉が散りばめられたトーキングブルース。うーん、これはカッコいい。

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雨、雨、雨の9月上旬。気温も上がったり下がったりで、なかなか大変だ。店にくる人は少ないし、薄い紙もぺろーんとめくれてくる。憂鬱。今日はいくぶんかマシになるだろうか。ちょっとだけでも陽がさしてくれたら嬉しいんだけどなあ。

今日は通常営業! オンライン・ストア〈平凡〉もよろしくどうぞー!

2026/09/09

9/9 店日誌

9月9日、水曜日。曽我部恵一『からっぽ』は、2025年10月18日-12月21日の会期で開催された「サニーデイ・サービス 曽我部恵一展 Love of Words」の図録であり、プライベートな日記帳みたいで、詩集でもある不思議な本。パンクロックやレゲエ、フォーク等々への愛情はもちろん、四国にいる親、東京でともに暮らす子どもたちへの眼差しがまっすぐに綴られている。曽我部さんは55歳。あと10年も経てば、自分も50代になるわけだけど、その頃、どんな風に暮らせているんだろうか。

その人ごとの状況や時代との関わり方があって、みんなそれぞれ少しずつ違う思いを持っている。それにもかかわらず、戦争反対という同じ言葉をみんながおしなべて使うことにすごく違和感を感じていて。/だから、戦争反対という気持ちをどう歌い、どう伝え、どう表現するか、ということが大事だと思っていて。(曽我部恵一)

この本のなかで、身体がぐっと立ち上がるような感覚を覚えたのが上記の箇所。1994年からサニーデイ・サービスのディレクターを務める渡邊文武さんとの対談で、2001年に発表した曲「ギター」に触れての発言。戦争にはちょっと反対さ、と歌うのではなく、大反対と叫ぶべきでしょ! なんて物議を醸したらしい。

2026年のいま───あちこちにスローガンめいた言葉が転がっている。小さな書店、雑貨店、飲食店。意思表示はもちろん大事だ。喜ぶのと同じくらい、怒るのが重要なのも分かっているつもりではいる。だけど、与えられた言葉は生きているのか? そう問いを立てると、どうも首を傾けざるを得なくなる。

(ここらでふーっと、いったん落ち着いて。)

「平和」であれ「保守」であれ、それを一つの合言葉、スローガンにしてしまった時、その言葉は本来持っていた意味を失う。/スローガンとなった言葉からは語り手の声が消える。(坪内祐三)

先週再読した、坪内祐三『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない。』の冒頭、著者は福田恒存を取り上げながら、空洞化した言説に異議を呈する。これにもまた同感。大勢を導くための言葉(キャッチコピーやスローガン)に注意しながら、個人の自由をどう保っていくのか。そのための方法、思考を練っていかねばならない。

戦争はいやだ。平和はいい。平和はダラダラできるから、いい。なにもせず、きみがただ、のたーっと寝そべっていられるのが平和だ。お菓子をぼりぼり食べ、お尻を掻き、おならしたっていい。なんと言っても、平和なのだから。(曽我部恵一)

こんな風に書いてくれる、曽我部さんも、すごーくいい。先に引いた箇所と同じくらい、ここも大好きだ。身の丈の平和論。こういう風に考えて、言葉をつかうのもいいと思う。

長くなってしまった……。悪天候予報のため、今日も18時までの短縮営業です。