2025/06/16

6/16 店日誌

という訳で、“とりとめもなく現在は流れる”というのは、別にとりとめもないという訳ではなく、流れないと思っていたものが気がつくと流れているから、その流れの方向性が見極められないというだけなのです。(橋本治)

6月16日、月曜日。橋本治『革命的半ズボン主義宣言』を読んでいてアチャーと思う。本書の第一部で「とりとめもなく現在は流れる」ってのはそれらしいだけのコピー言葉として例に挙げられていて、ダサくズルいものとして扱われているのだけど、いや待て自分は? テキトーに言葉を置いてごまかしてない? ……やってるのだ。例えば、昨日の日誌で、榎本空『音盤の来歴』に触れて「深く、しなやかに音楽愛が綴られている」と書いている。え、しなやか? どういうこと? ええっと、なんか柔らかくて権威主義的じゃなくて、身近に感じさせる……とかゴニョゴニョと応えることになる。

また例えば、11日(水)の日誌では「霊性のあるヴォーカルは書くまでもなく、特別だ」と書いてる。なんじゃそりゃ。書くまでもないなら書かなきゃいい。もしくは「ボブ・マーリーの声は特別だ」か「めちゃカッコいい」と書いときゃいいのだ。さも何かを言ってる風に振る舞おうとするから、ダサいのである。ああ、恥ずかしい。

先週から面白い本をつづけて読んでいる。上記した2冊のほかには荒川洋治『ぼくの文章読本』、西村賢太『下手に居丈高』、原武史『最終列車』。高妍『隙間 sukima』もよかったなァ。

さあさあ、真夏日。店内、できるだけ涼しくしておきます。

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