6月25日、木曜日。小沢信男『捨身のひと』を読んでいて、上記箇所に付箋を貼る。著者は続けて「戦争が略奪なら、平和は搾取で、人民はどのみちたすからない。というありさまは、中近東、アジア、アフリカ、中南米にと、グローバルにひろがっている」、数ページのちには「朝鮮戦争のおかげで経済が息を吹きかえして「三丁目の夕日」の平穏がくるのだけれど。つまり、おこぼれをいただいてやってきた。泥棒の手下でいながら乞食のようなもので、それでのほほんとしてるのを高度先進国というのでしょう」と書いている(2006年に上演された『泥棒論語』パンフレットに寄稿したテキスト)。
ぼくは失業者で、下宿の一室でラジオを聞くか、貸し本を読むだけの孤独な生活だ。/東京タワー完成の噂はきいたが、池袋からは見えない。ぼくの昭和三十三年は夕日もなく、限りなく暗い。(小林信彦)
小沢信男を読んでいて、小林信彦を思い出す。一昨日手にした『昭和のまぼろし』で何度かゾクリとする。以下にそのまま引用する───「気づいている読者もあると思うが 、日本の大衆は必ずしも権力者の命令だけで動くのではない。/時 として権力が命じる前に、先走りして迎合するのだ」、「無邪気に浮かれていた日本の大衆は、あまりにも〈無邪気(イノセント)〉であった」。すべて2005年に書かれたエッセイから。
生きていることは、なにがなんでも崇高であり、めちゃくちゃに正しい───というような戦後民主主義の一つの売りものは、生命(ライフ)と生活(ライフ)を混同することから生じる。(平岡正明)
平岡正明『戦後事件ファイル 赤塚不二夫、安保、三島由紀夫、ひばりの死、他』の情報量、思想の厚み、言葉遊びのような解釈の数々にクラクラする。言葉に打たれ続けても、止まらず、一気に読み切る。わかる、わからないは二の次でいい。引用したのは1971年に書かれた「1970年三島由紀夫割腹自殺」で見つけた一節。本から本へと、記憶がつながり、好奇心が増していく。
今日は一日、雨なのでしょうか。鴨トート3色(ベージュ・ナチュラル・ブラック)が再入荷予定です。
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