2025/01/01

古山フウが2024年を振り返る

 古山フウと申します。2024年の1月に漫画の連載が始まりました。漫画家をしております。PEOPLEの植田さんとは学生の頃、16年くらい前に、その頃は千現にあった千年一日珈琲焙煎所で知り合いました。植田さんはいつもテラス席で本を読んでいました。


 2024年を振り返るには、それまでずっとイラストレーターだったのにどうして漫画家に転身したのかを振り返る必要があり、少し長いですが書いてみようと思います。


 さて、暇さえあればノートに鉛筆で漫画を描いている子供でした。小学生から高校生の頃までずっとです。漫画家になれたら良いなと思っていたはずなのですが、なりたいものにはなれないものだと思っていた事があり、インクを使って漫画原稿を仕上げる事も賞に応募する事もなく、ただただノートに漫画を描いていました。小学生の頃は毎週末紙を折ってホチキスで止めた8ページの漫画本を友達に読んでもらっていましたが、中高になるにつれあまり人にも見せなくなりました。

大学生になるとパタンと漫画を描かなくなりました。進んだ学部が自分に合っていたのと、美術について考えるのがすごく面白かったので、それまでずっとノートに描いていた妖怪を刀でぶった斬る美男子みたいなのが恥ずかしくなったのです。今思えば大学でも堂々と血が出てる美男子等を描いていれば良かったんですけど、軟弱ゆえにできませんでした。それでも全く別の世界に足を突っ込んだ事で出来た友人達とはずっと交流が続いており、その事がどんなに心を温めているか分かりません。

その後ぼんやり就活をしないで大学を卒業し、週4でパートをしながらそれ以外の時間でイラストの仕事をする生活を始めました。パートは2年で辞め、直後は電気やガスやスマホがしばしば止まりつつも徐々に仕事が軌道に乗り、そのままフリーのイラストレーターとして暮らせていました。ところが9年程経った頃、新型コロナウイルスが全世界で流行しました。それだけが理由ではないと思いますが、仕事の依頼がほとんどこなくなりました。

誰も悪くないのですが、9年積み上げた仕事も感染症ひとつでこんなものかと思いました。仕事を変えようと思いました。次はクライアントワークでなく自分の作品がお金になるものがいい思いました。いつまでも残るものが良いと。漫画だ、と思いました。


 漫画で食べていくには連載を取る事です。

 大学に入った頃から10年以上描いていなかった漫画を再び描き始めたのが2019年末、ご縁ありデビューが2020年、子どもが産まれつつ年に2回くらい雑誌に読切が載る生活を2年、2023年のほとんどを連載企画に注ぎ込んで10月に企画が通り、2024年は1年間ずっと初めての漫画連載をしていました。

大体2週間に1回締切があり、20ページくらいの漫画のネームを描き、担当さんのOKを貰い、下書きをし、ペン入れをし、デジタルで仕上げ作業をし、出来た原稿を担当さんにメールで送ります。それを1ヶ月に2回。それに加えて年2回ほど単行本が出るのでその作業が入ります。ミスした所を修正したり、表紙やオマケページを描いたりです。

漫画を描く。ここまでは高校生までとやってる事がほとんど一緒です。でも描くとお金がもらえます。いいの?といまだに思います。高校生の頃と違うのは、あのころ私の漫画の読者はほとんど私だけでしたが、今は全然見ず知らずのしかも大勢の人が私の漫画を読んでくれているという事です。出版というシステムに驚嘆します。

イラストレーターの次の仕事を考えていたときに、福祉の仕事を考えた事もありました。いくつかの失敗から、誰かの助けになりたいと思っていました。それでも漫画家を選んだのは、もしかしたら自分の描く物語が、間接的にでもより多くの誰かの助けになるかもしれないと思ったからです。


2024年はそのスタートの1年でした。家族の協力なしでは到底走りきれなかったのですが、それでも1年間漫画を描いて暮らすことが出来たこと、本当に嬉しく思います。

 

 先日、千年一日珈琲焙煎所の大坪さんに会ったら「単行本は買ってあるけど読むのは全部終わってからにする」と言われました。嬉しかったのですが、大坪さんに自分の描いた美男子を見られるのが恥ずかしいので連載終わりたくないなあなんて思います(笑)。先のことはどうなるか全然分かりませんが、漫画の世界に絶対しがみついてやるぞ、と思っているんですよ。

自分のこと以外の所では、2024年はたくさんの子供が亡くなった年だったなと思います。出来ることが少ない自分に落胆しつつ、ガザの知らない家族にグリーンファンディングからお金を数度送りました。亡くなった子ども達の写真を見ると、自分の子どもがぐっすり眠っている時と同じ顔をしているので足元がグラつくように思えます。どうか、来年は、子どもたちが穏やかに目覚める朝が当たり前のものになりますように。

それから北海道や東京や福島や島根や四国やあちこちにいる友人たちへ。いつもふとした時、皆の事を思い出しています。

 長いのに読んでくださったみなさま、どうもありがとうございました。植田さんもありがとう。良いお年をお迎えください!


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2024年心に残った


─物語(本)

・「水の定規」夕暮宇宙船

・「虔十公園林」宮沢賢治

・「かか」宇佐見りん

・「とべ!ちいさなプロペラき」小風さち


─音楽

・北沢夏音さんによる寺尾紗穂さんの楽曲DJ


─芝居

・関美能留さん演出

日本大学芸術学部 演劇学科『メディア-上演時間88分-』


─ドキュメンタリー

・NHK 空旅中国 シャングリラを探して


1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ものを形作るのは骨の折れることですが、人を楽しませる楽しみがありますよね?