年末年始はなぜかカウリスマキの映画が見たくなる。2024年のメモをひらくと、1月2日に黄金町のジャック&ベティで『枯れ葉』を見ていたようだ。「夜のあとに朝がくる、というような当たり前のことが描かれているのだけれど、それだけでなぐさめられた」とある。何もうまくいかなくても、ただ明日がくるという生きている人間の現実が映画になっている。
その少し前には『浮き雲』の感想メモ。「暗転が多い、短いシーンのぶつ切りをつなぎ合わせて物語をつくる。悲しいシーンなのに笑える、犬が出てくる、基本的には無表情で棒読み。タバコを吸いまくる、酒を飲みまくる、哀愁と悲壮感と不運とユーモア、そして少しの希望。たたみかけるような不運、落ちて落ちて落ちて少し上がり、浮き雲を見上げて終わる」。
いい映画を見てもすぐに忘れてしまうが、メモを読むとなんとなくシーンが浮かんでくる。
お正月は『キノ・ライカ』をまたジャック&ベティに見に行こうかな。
今年は何ができただろうか。そうだ、雑誌『Sb Skateboard Journal』で新しい連載をはじめた。晶文社の『就職しないで生きるには』を自分なりに考えてみようと思って、編集長の小澤さんに相談すると、やってみようと言ってくれた。自力で商いをはじめ、知恵を絞って暮らしている人びとに、働くことの実情を聞くインタビューシリーズで、タイトルは「WORK!」。
初回に中野活版印刷店の中野さん、5月発売号ではPEOPLE BOOKSTOREの植田さん、11月発売号では古書コンコ堂の天野さんに取材をして記事にさせてもらった。一万字と格闘する楽しい時間だった。思い出す言葉がいくつもある。
同時に写真家を取材する不定期連載「PHOTO!」もはじまり、ウクライナのスケーターを撮影している児玉浩宜さんに話を聞くことができた。戦争のなかで生活をすることの現実は、直接見て聞いた人にしかわからない。
当たり前なのだけれど、就職しないで生きている人は自分自身の感覚をみがいて、日々さまざまなことを自分で決めている。そうすることでしか体得できない働き方というものがあって、それが良いとか悪いとかではなく、何かよくわからない組織や集団の都合に左右されない生き方が存在していることに安心する。こういうやり方もあるんだと思えるだけでいい。拾い物の言葉をこねくり回したようなつまらない記事があふれている今だから、実践した人間だけが語れることを聞いていきたい。
面白いなと思うのは、今年ライターとして依頼を受けた仕事のなかに、大きな企業につとめている人たちへの取材も多かったこと。就職しないで生きる人の話を聞きながら、同時に就職して生きる人の話もたくさん聞いた一年だった。サラリーマンだからこそ、自分の思う通りにはいかないという予定不調和を楽しみながら、置かれた場所で全力を尽くすという働き方。委ねるところは委ねて自分の仕事はしっかりやりますよというサッパリした人が多かった。働くことについての考え方を、こうして天秤のように両極から探っていくことは自分にとっても面白い経験になっている。
季節は一年を色分けして見えやすくしてくれる。わたしの場合、春は精神的に不安定になりやすい。花粉もひどいし、なんとなく嫌なことが続くような気がする。5年ぶりくらいに会った友だちに、「まだZINEとか作ってるの? それって趣味みたいな感じ?」と何気なく言われたことをいつまでも思い出してしまったり、かつて仕事を受けていた制作会社の編集者が社内でハラスメントめいたことをしていると耳にしたり、取引のある企業が人権を損なうような行動をしていたり。自分が正義ともまったく思っていないし、正義なんていちばん疑わしいものでもあるのはわかっているが、ただ気持ちがしぼんでいく。
落ち込みが発生したときに助けてもらったのは、筋トレと有酸素運動(リングフィットとフィットボクシングで5キロ痩せて肩こりが改善)、ラジオ(霜降り明星のオールナイトニッポン)、会話(夫や友だち)、料理(焼き菓子にはまった)、それから寝ること(一日平均8時間)。
夏を好きになったのはここ数年だと思う。生きのびるだけでも大変な季節になってしまったけど、雨が降り終わったらプールに行って、夏の果物と野菜を食べて、花火の音を聞いて、できるだけ夏を味わうようにしていたらだんだん好きになっていた。秋と冬はもともと好きなので苦手なのは春だけ。でもべつに好きにならなくていい。
プールに行くようになって泳ぐことと書くことが似ていることに気づいた。書くことはとても苦しく、疲れるものでもあり、進んでいる方向も、そのやり方も、すぐにわからなくなる。けれど、なぜかまた水に入っていく自分がいる。はやく進めなくても、きれいに泳げなくても、そこでは大きな力に縛られず、自由に動くことができるから。
5月は『writing swimming』というZINEを10冊だけ手刷りして文学フリマで500円で売った。2025年はここ10年で書いてきた雑文を一冊にまとめるつもりでいるけど、これもまた長く苦しい作業になりそうだ。
韓国のアーティストのイ・ランは自分が描く小説のなかで「明日がなかったら、今この瞬間に出来ること」をやるのだという。「小説の中でなら、相手にコップの水をぶちまけることが出来るから。そうやって、自分の話をすることで自分になれるんです」。インタビュアーはこう返していた。「小説の中で、自分になるんですね」。みんな自分になるために書いている。
読んだ本についても書きたいけれど、いつもあっちこっち読んでは途中でやめ、読みきらないうちにまたべつの本を読んで、そうこうしているうちにまた本を買い、なんていうことをくり返しているので一冊の本についてしっかりと語ることができない。本はそれぞれが単体に存在しながらも、その内容はゆるやかにつながって境界線は曖昧になり、わたしは自分の本棚という大きな一冊の本を読んでいるのかという気分になる。何かに悩んでいるとき、いつも自分に必要な言葉はその本のなかにある。
まだ読んでいない本について考えるのも好きだ。
今、本棚には『黒人文学全集』(全13巻)と『女たちの同時代 北米黒人女性作家選』(全7巻)と『ラングストン・ヒューズ自伝』(全3巻)などがそろっている。現代の黒人作家の小説も、まだ読んでいないタイトルがいくつもある。これから少しずつ読み、自分が惹かれてきた黒人文学について感じたことを書いていこうと思っている。
坂崎麻結(ライター)https://mayusakazaki.com/