2013/05/19

『アメリカ版『エスクァイア』全表紙896』



A:そう、客観報道が一番大事である、それが報道の真髄であるっていうのがたぶんあったわけですけど。
そういうのだと面白くもなんともないというので、『エクスァイア』は「いったんアンタの書き方で書け」って、ライターに命じて、いきなり報道の中に「I(私)」っていう主語、つまり一人称が堂々と入ってきた。ですから誰々によればという報道ではなくて、俺が行ったらこうなってた、俺が行ったら何も起きてなかったという具合に書き手が主体になってモノを見る報道に変わって行く。
当時『エスクァイア』のライターだったトム・ウルフという人は名前をつける名人でして、彼が「うん、これは『ニュー・ジャーナリズム』だよ」ってなことを言って命名したんです。


***

T:1950年代の表紙はいわゆる会議に通る表紙だよね。たぶんマーケティングのやつらも「これでいきましょう」って言う。でも60年代のは、会議に通らない表紙。というより、会議を通してない表紙って感じがしますよね。表紙も中身も、これは報道だろうっていう雑誌。報道するのに会議はいらないっていう考えの作り方ですよね。
A:報道はね、会議してたら事件終わっちゃいますからね。



〈華麗なるフィフティーズ。挑発するシクスティーズ。   
    ―雑誌は広告か。それとも報道なのか。 対談 青山南×都築響一〉より


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