映画に気が向いている。自分には周期があるのか、いそいそと映画館に足をはこぶ時期があれば、数ヶ月なにも観ないときもある。昨日は吉田大八監督作品『敵』をえらんだ。いつものシネコンのシアター1、いちばん大きな劇場のかなり前よりに席をとる。作品の性質なのか、客の年齢は高め。本編がはじまってから入ってくる人、出ていく人、どうしてか落ち着かない。すぐ後ろにも人がきて、ガサガサポリポリ音を出す。
ふーむ、こんなの観にくるんじゃなかったなあ。序盤は退屈のきわみ。ひとりの女性が出てきて空気が変わる。前日にちらと耳にしていたのはこの人か。後ろや斜め、少し離れたところから人の声なんかが聞こえてくる。徐々に話が転がりだす。好き放題、めちゃくちゃに振り回される。
さも文学的な雰囲気(静謐、禁欲、情緒……)をまとった作品が評価されている風潮に対しての強烈な皮肉だと受け取った。文学は自由。あり得ないことを書けるし、設定できる。細部の描写に手を抜かず、丁寧に積み重ね、組み合わせれば受け手をとおくまで飛ばせるのだ。小さな現実からの大ジャンプ! と思ったら、チョンと足が浮いただけ。そんな感じの映画だった。面白かった。
さて次は何を観ようか。楽しみな作品がいくつもある。
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