2025/01/31

1/31 店日誌

1月31日、金曜日。これも坂本龍一。昨年末に再発された富岡多恵子『物語にようにふるさとは遠い』に針を落とす。ぶっといフュージョンみたいな不思議な音ではじまって、驚く。富岡多恵子の歌が、声が、音楽的でない存在感。回転数を落とした中島みゆき? いや、そんな風に茶化しちゃいけない。これが1976年の富岡多恵子なのである。と書いてるときに流れ出した「その日は明るい晴れた日だった」の軽やかなメロディに乗る声は……まるでロボット! 2020年代の坂本慎太郎の音楽みたいな気配もただよう。

こつこつ、インスタグラムのポストをつづけている。無理矢理でなく、思いついたことをできるだけ自然に、力まずに書こうとしても、やはり疲れる。骨が折れる。毎日といわずとも定期的に書くことで、発見があればいい。

長かった1月も今日でおわり。いいこと、わるいこと、当然どちらもあったはずだが、わるいことはそう多くは浮かばない。楽観的なのか、実際いい時間を過ごせたのか。現時点での判断は留保しておく。

今日明日は通常営業! 明後日2月2日(日)は変則営業(11時〜17時)の予定です。

2025/01/30

1/30 店日誌

1月30日、木曜日。定休日の午前中、自転車を走らせて『Ryuichi Sakamoto|Playing Orchestra 2014』を観にいくと、観客は自分をふくめて4人か5人。なじみのシネコンのシアター4、かなり前より、まんなかの席で悠々とスクリーンと向き合う。映画のなかの聴衆に寝ている人、あくびをする人もいるのに安心して、何度か眠りに落ちる。美しい旋律に身体を預けているのが気持ちがいい! 拍手や転調でハッと目が覚めて、坂本龍一とオーケストラに再合流。うーん、妙な体験だけど、しあわせだ。

わかっちゃいるけど「Merry Christmas Mr. Lawrence」に感動する。このままずっと曲の中にいたい……と感じたのは久しぶり。「ブラボー!」とか「ヒュウ!」みたいな歓声もあり、ラストの盛り上がりはかなりのもの。ここまで満足できるとは思っていなかった。

本を買いに、売りにくる人がいて、うれしい。ありがたい。古本屋なのだから当たり前だけど、しみじみとそう感じる。これからもどうぞよろしく。そんな気持ちでお客さんを送り出した。

今日も通常営業。本の買取、在庫確認などのお問い合わせはお気軽に。

2025/01/29

1/29 店日誌

1月29日、水曜日。昼食を食べたのち店まで歩いて15分。歯を磨いてから床に段ボールを敷いて、ごろんとなると意識が遠のく。約10分後にぱちっと目が覚めるとスッキリだ。ラジオでは哲学対話とか何とかで女性2人が話してて、外は風がつよい。ナビクルだのなんだのラジオのCMがつまらなくなったのはいつからだろう。とりあえず、コンビニにコーヒーを買いにいこう。

今日明日、明後日は15時開店! 2月2日(日)は11時から17時までの変則営業。

2025/01/28

1/28 店日誌

1月28日、火曜日。オンライン・ストアを通して売れていく本、遠方の喫茶店から返ってきた本、減ったり増えたりで棚の表情が変わっていく。とくに大判の写真集、図録の場所がうつると全体の色合いが変わるようで新鮮だ。入り口から向かって右奥の美術書のコーナーに手を入れはじめて、これまで見えなかった本に光があたりはじめた……と自分では感じているけど、お客さんはどうだろうか。

お金の動きだけに目を向ければ上向きとは言いがたい。でも、店と本との距離感はわるくない。あたらしいお客さんもちらほら来てくれている。感情的になり過ぎず、店に風を通すことを心がけたい。

作業をしながら営業中! 16時まで開けているので、お暇があればご来店を。

2025/01/27

1/27 店日誌

1月27日、月曜日。午前中、オンライン・ストア〈平凡〉で売れた本を店まで取りに行き、その足で別便を発送。郵便局のATMで何件か入金を済ませたのち帰宅して10時半。大判の美術書の入る箱、梱包材を買いに100円ショップに行くついでにスーパーで昼食も購入。徒歩で帰り着くと11時半。あっという間に時間が過ぎる。弁当を食べてからブログを書いて、店まで自転車を走らせて開店準備。どうにか定時に間に合った(できれば昼寝もしたいのだけど……)。

てなわけで、今日も通常営業! 本の買取、在庫確認などのお問い合わせはお気軽に。

2025/01/26

1/26 店日誌

1月26日、日曜日。開店前に菓子パンを買って(2割引のものを厳選!)から、コンビニのコーヒーを持って近所の公園に。子供と親の遊ぶ声を聞きながらパンとコーヒーをゆっくり味わう。さすがに風は冷たいが、店の定位置で食べるのとは意味が違う。車があまり通らない道、一時的に役割を終えた田んぼ、空をみながらぼーっとする。脳内再生されるのは、おおはた雄一。「いつものコーヒー」「王様気分」。いい曲なんだよなあ。

どちらにせよ、好き嫌いがハッキリしていて、あいまいな判定をしない。自身が描く線のように、迷いがなかった。引かれた線をなぞるなんてことは、ぜったいにしない。(佐伯誠)

佐伯誠『遠く、近く 掛井五郎のこと』が再入荷。「引かれた線をなぞるなんてことは、ぜったいにしない」というところにグッとくる。そうだよなあ! 心意気があってこその店であり、人である。あちこち真似ばっかりでイヤになる。

用事があって足をはこんだ浅草。6区周辺は祭みたいで人がたくさん! 目的地が浅草か西浅草なのかを把握しないまま出かけたゆえ歩き回る。おかげで人から聞いて気にしていた店を見つけたり、なんとなくの位置関係が把握できたり。迷うのも悪くない。

今日明日は通常営業。均一価格の本、文庫本に追加あり。

2025/01/25

1/25 店日誌

1月25日、土曜日。書くことが浮かばないときは歩けばいい。家から店まで30分ちょっと。歩きながら考える。矢内原伊作の著書は読んでないけど、同名のリトルプレスは何号か扱っていた。テーマごとの編集に深みがあって、業界的な目配せも鼻につかず、好きだった。また動き出すことはあるだろうか。ぼんやり考えながら歩いていくと、材木店のKさんと行き合って、軽く挨拶。スケートボード、サーフィンが趣味らしく、冬でもいい色に日焼けしている。いつも元気で会えると嬉しい。

インスタグラムで紹介したい音源がある。どうやって書こうか、どんな写真が撮れるかなーと思案するうち店に到着。隣の美容室〈街の中〉のヨウスケさんに借りていた写真集を返す。昨夜、写真家の山谷佑介さんが来てくれたことを伝えて、ラジオをつけるとゴンチチの声。チャオ! といって藤川パパQが去っていく。

しつこく書いているけど、オンライン・ストア〈平凡〉に毎日古本を並べている。写真集、洋書、文庫本など雑多な本をあげているので、ご注目を。新刊や新譜と組み合わせてくれると、とても嬉しい。

今日は11時から18時までの変則営業! お暇があればご来店ください。

2025/01/24

1/24 店日誌

1月24日、金曜日。棚にならんだままの本がたくさんある。本屋だから当たり前のことなのだが、光があたらない状態で数ヶ月、数年と時間が経っていくのは喜ばしいとは言えない。定期的に配置をかえたり写真を撮ってSNSで紹介してみて、買われていくものがあれば、そうでないものもある。いい本なのに高いのかなあと値下げして、すぐ買われると少し口惜しい。それでも埃をかぶらせてるよりはいい。

オンライン・ストア〈平凡〉に毎日古本を追加している。以前ほどのペースでなくとも新刊、新譜の入荷もある。趣向にあわせて既刊や旧譜の位置を変えてみると、急にいきいきし始める。なんだよ、いい顔してるじゃん! なんてニンマリしてると買っていく人が現れる……こともある。

ヨーイドン! で短距離走を続けていたら体力がもたない。イメージとしてはリレー。バトンをつなぐように単行本、文庫本、大判の作品集、写真集と光をあてていけたらいい。狙ったように手に取られることが多くなくても、店の空気は循環する。オンラインと実店舗とのバランスをうまく取りつつ、無味乾燥な状況をつくらずに、工夫をつづける。

今日も通常営業! 明日25日(土)は11時から18時までの変則営業です。

2025/01/23

1/23 店日誌

1月23日、木曜日。ガラッとドアが開いて、立っていたのは『EL CINNAMONS』編集長のトニー李だ。眼があってニヤリ。ひさしぶり! なんて声を交わす前に「江藤淳が山口瞳がいかに山川方夫に冷たく当たっていたか書いてたよ」「同じく冷たく批判されるNは、たぶんあの人だ……」なんて話をはじめる。田中くんもまったくたじろがず、ははァ、そのことはあの人も書いてたな。福田和也のユリイカ、まだ読めてないけど『自伝的批評集:放蕩の果て』は面白かったね。とかなんとか言いながら注文していた『EL CINNAMONS』4号を納品してくれる。

同世代の編集者、文章に眼が効くし、ストリート・ゴシップにもメッポウ詳しい。地元横浜の文化、歴史に対する角度も独特だから面白い。『EL CINNAMONS』の今後とトニー李、田中元樹の仕事にはこれからも要注目。

開店してすぐの〈gallery Y〉細田さんや常連Mさん、先週末に続いて来てくれた学生さん、めずらしく客足が絶えなかった水曜を締めくくったのは最長常連のひとり、Oくんだ。最近行ったばかりらしい門前仲町〈ほどほど〉のことなど聞くうち時間がすぎて、あっという間に20時を過ぎていた。

今日も開店! 買い取った本をバシバシ出していくので、ぜひご来店を!

2025/01/22

1/22 店日誌

1月22日、水曜日。ガソリンスタンドで灯油を買ったのち郵便局のATMに行き、その足で〈古着屋may〉に行きひとつ用事を済ませる(お手間かけてすみません……)。開店前にいくつか用が重なると余裕がなくなる。ひと息ついてコーヒーでも飲みたいのだけれど、まずはブログ。次に開店準備。できればオンライン・ストア用の写真も撮りたい。なんて考えてると頭の中がとっ散らかる。そんなときにSNSを見始めたりして、また時間が奪われる。ああ、なかなか落ち着かない。

インスタグラムが難しいと書いたのは先週だったか。今もその気持ちは変わらないのだけれど、匙を投げずにポストを続けてみようと決めた。無理矢理に書くことはなくても、新着の本や音源はしっかり紹介していきたい。

ひとまず開店! 今日も音源の入荷予定あり。届き次第、改めてお知らせします。

2025/01/21

1/21 雑記

二日酔い。気持ちを切り替えるために歩く。目的地は決めず、郵便ポストを目指して出発すると、自然といつもとは違う道に足が向く。心の声にできるだけ忠実に、効率を考えずに歩いていると心が軽くなり、身体も楽になる。友人が店をはじめるべく準備してるテナント、スペクテイターの事務所を通りすぎてコンビニ前のポストに投函。荷物がなくなり気分すっきり。歩きながら考えごとをしていたはずだけど、なにも覚えてない。

今日はどこにも出かけず家にいよう。たまった本を読んで、レコードを聴こうとするも一冊読み終えて、はやくも気持ちが外に向く。うーむ、どうしようかと一瞬悩んで自転車で外に出る。筑波大学を抜けて喫茶店でコーヒーを一杯。いい天気。春っぽい空気で気持ちいいけど、もうちょい寒くてもいい。16時になったところで本を閉じた。

2025/01/20

1/20 店日誌

あっという間に月の後半、来月の頭が見えてきえている。だからといって慌てることもない。なにかを恐れる必要もない。いつだって不完全だし矛盾を抱えているのが人間だ。細かい部分、些細な行いまでをも気にしてクヨクヨしていたらいい循環は生まれない。ソーシャルネットワーク上で目に入る事象は素通りしてもいい。(2024年1月20日)

1月20日、月曜日。いま配っている「ピープルブックストア日報」にちょうど1年前の頃のことが書かれている。去年の同じ日の日誌を読んでみても、気持ちがよみがえるわけでなく、つよい共感もない。「あっという間に月の後半」とも思わない。1月はじわじわ、ゆっくり時間が過ぎていくから特別だ。正月休みの期間がある上、新年を出先で迎えて、早々に体調を崩したことも大きいのかな。ようやく20日。まだまだ20日。今月にやれること、やるべきことは、たくさんある。

日誌によれば、去年の今頃は『ファースト・カウ』に感動しているのだが、今年はまだ映画館に行っていない。特段観たいものがないからか、なんとなくめんどくさい気分が先行している。

今日も通常営業! オンライン・ストア〈平凡〉にも動きあり。

2025/01/19

1/19 店日誌

1月19日、日曜日。昨日の開店直後、紙袋いっぱいの本を売りにきたのは常連Yさん。新刊書店でチョロチョロ立ち読みして気になってたやつ、田中小実昌のエッセイコレクションやガロ関連、こんな本出てたんだ! と驚くような本などなど。しっかり値をつけて金額を伝えると即承諾。そのまま数冊の本も買っていく。今度仙台に行くんですよーなんて聞かせてくれて、いいですねえ、行きたいなあと話しつつ送り出す。ああ、これだけで十分だなと思ったのだが……。

編集者は卑しいことはするな。要するに、奴隷の仕事はするなということを徹底的に教えられました。上から言われたことだけをするんじゃ奴隷の仕事だ、自ら考えてやれということです。(名田屋昭二)

買い取ったばかりの、坪内祐三・名田屋昭二・内藤誠『編集ばか』の鼎談が軽やかで、するする読める。自ら考えて、選択するってことが当たり前のこととして、広まってほしい。損得はあとまわしでもいいんじゃないかな。

とかなんとか言ってると、日はあっという間に過ぎていく。3月8日(土)、23日(日)、4月20日(日)に当店が関わる催事がある。会場はどれも天久保一丁目。4月のやつは恒例のあれ。去年休んだピープルズ・パークを開催する。いや待て、その前の3月の2本! しっかり暖めてきた企画なのである。

書籍に入荷多数! オンライン・ストア〈平凡〉にもご注目を。

2025/01/18

1/18 店日誌

エリック・ホッファーは「ものごとを考えぬくには暇がいる。成熟するには暇が必要だ。急いでいる者は考えることも、成長することも、堕落することもできない。彼らは永久に幼稚な状態にとどまる」と書いたそうである。(y.k)

1月18日、土曜日。知人から届く不定期便を読んでいて、うーむと唸る。ここでホッファーのいう暇とは「ひま」であり「よゆう」でもあるらしく、今の自分にはひまはあってもよゆうがない。どうしたものかと頭を抱えるのではなく、こういうときこそ根拠なき「暇」をかまして悠々としていればいい。近所の誰かが、どこで何した。遠方のアイツは相変わらず息巻いてる。まあ、それはそれ。オレに出来ることをやるのみだ。

盛り上がってなくていい、派手じゃなくもいいから、自分の興味にできるだけ忠実に。想定外の出来事もあるし感情がたかぶり、浮つくこともあるだろうけど、そればっかりは仕方ない。カッコ悪いところも受け入れつつやっていく。

今日明日、明後日は13時開店。お暇があれば、お出かけを。

2025/01/17

1/17 店日誌

1月17日、金曜日。インスタグラムが難しい。手ごたえがない。最近になって急にそう感じる。いいね、とかフォロワーの数だったり目に見える数字が要因なのかもしれないけど、ポストを重ねるほど「間違ってるかも……」という気がする。特段心を入れて書いてなくても、消しちゃおうかと思ったのは1度や2度じゃない。なぜだか、妙に恥ずかしい。むずがゆい。ああ、こんな気持 うまく言えたことがない。キヨシローが歌ってる。1980年の『プリーズ』を聴きながら書いている。

歌詞カードを開いて小さく驚く。その紙の外側には大きな字で「PLEASE,play it loud」と印字されている。そうか、「お願い。デカい音で聴いてくれ」って意味でのプリーズだったのか。それにしては音が軽い。モーニング・コールをよろしく。いい曲だな。たとえばこんなラヴ・ソング。キヨシローの声、すげえ良い。チャボのギター、カッコいい。

今週にはいって店が静か。おかげで本が読めるのは良いとして、19時過ぎると寒いし、人気もないしでさっさと閉めたくなってしまう。昨日もそろそろかなーってときに〈生存書房〉のフジタさんが来て、助かった。19時45分頃。

今日も通常営業! 本の買取など、お問い合わせはお気軽に。

2025/01/16

1/16 店日誌

1月16日、木曜日。いま読んでいるのは『ユリイカ』1月臨時増刊号。昨年逝去した福田和也を追悼する総特集で500ページ弱の厚みがある。論によってはけっこう硬質で、読んではいても、書かれたことの意味が十全につかめているかは怪しいところ。気にし過ぎずに進んでいって、残すは2~3割か。直近では、青木耕平「『作家の値うち』から読み始める 福田和也と冷戦後の文学」(p.311~321)に気になる箇所が多く、自分自身や同世代の同業者のことなどに思いを巡らせた。あとでもう一度読み返したい。

読み出してすぐ止まっているのが、滝田ゆう『寺島町奇譚』と川崎ゆきお『ライカ伝』。小林信彦『丘の一族』、永原康史『ブラックマウンテンカレッジへ行って、考えたこと』は買ったまま、1ページも読めていない。積読の小山を崩しながら、ちょこちょこと買い足し、別から持ってきたりもするから居間は片付かないまま。

店にいて目に入った本の写真を撮り、簡単な解説を付した上でオンライン・ストア〈平凡〉に上げている。数年前からあるものでも、並べ方、見せ方が的確であれば新鮮に見える。コツコツ手を入れる喜びもあるには、少なからず反応があるから。今後とも、平凡をよろしくどうぞ。

今日明日は15時、明後日からは13時開店。お暇があればご来店を。

2025/01/15

1/15 店日誌

1月15日、水曜日。ちょうど1週間前は風邪で寝込んでいた。もう、ずっと前の出来事のように感じる。さらにその前週は元旦。見ず知らずの土地の海沿い、断崖絶壁を歩いたり、陽が高いうちから風呂に浸かったりビールを飲んだりしていたわけで、異国の話みたいである。週ごとに時間の流れ方がまったく異なる。旅行も風邪も、体験としてはどちらも貴重。普通に過ごせる状態も同じことだ。

「これはパンクですか? ロックですか?」いきなり聞かれても答えられない。あなたは、どれが聞きたくて、なにに興味があるのか。順を追って質問してくれないと、こちらからは何も出来ない。ハァ〜まったく! オレも怒りたいわけじゃないんだが。

今日も通常営業! オンライン・ストア〈平凡〉にも入荷あり!

2025/01/14

1/14 雑記

つくば駅から〈ブックセンターキャンパス〉まで歩いて10分足らず。着くとすぐに「山川方夫の本がありましたよ」と声をかけられて、確認すると冬樹社版の全集がバラで数冊ある。エッセイが収録された第5巻を選んで、他にも3~4冊。会計をお願いする。高いか安いかではなく、ここで買うことが重要なのだ。いい気分で歩きだすと〈大成軒〉が空いている。16時だし当然そうだよな〜と思うと同時に入店、そのまま中瓶を頼んでしまう。窓際でよむ「猟奇王」は格別ながら、ソワソワしてサッと飲みきり、また街に出る(オレの今日の天使はミッチャンだった……)。

ほろ酔いで歩いて、自分の店に到着。妻に車で拾ってもらって家に帰った。

2025/01/13

1/13 店日誌

だから、ただ漫然とラーメン屋の行列の後ろにくっついてていいのかってことだよ。安い店で安いもの食うにしても、自分の守るべきプライドがあるだろうって話じゃねえか。(澤口知之)

1月13日、月曜日。ああ、愉快だなあ、嬉しいなあ。今、こんなこと言う人はすげー少ないし、雑誌に印字されることも皆無に近い。安い高いは別にして、強欲な客がどうにも苦手だ。やたらに写真を撮ったり、うんちくを重ねたり、常連面をしてみたり。つまらん見栄を満たすためのおこないは総じてみっともない。『en-taxi』29号収録の「コックと編集者と、その友人」を読んでそのことを再確認。

ただ、この手の話に正解はないのも分かっている。自分のふるまいが正しいと思ったことはないし、どうにも気を使うことが多いから、無闇に店には入らない。当然だが、どんなに不快な対応を受けたとしても、口コミサイトに書くことはない(できるだけ、読みたくない)。

近隣はもちろん、遠方でも体調を崩している店主が多い。不特定多数と接触する仕事だからか、業種をとわず臨時休業の知らせをよく見聞きする。よく足をはこぶ一軒には「再開未定」の貼り紙があり、先行きが心配になる。

今日も店には入荷あり。オンライン・ストア〈平凡〉にも動きあり。

2025/01/12

1/12 店日誌

1月12日、日曜日。ラジオといえば、大友良英「ジャズ・トゥナイト」の新春ジャズ放談を毎年楽しみにしていて、今年のゲストはトランペッターの類家心平。あちこちで名前を見聞きする、特異な風貌の方かなーと思って(これは勘違いで、端正な方だった)聴き出すと、類家さんの語り口がとてもいい。ジャズとの出会い、遍歴を訥々と話し、控えめに笑う。余韻たっぷりのソロ演奏も味わい深い。大友良英のターンテーブルとのデュオライブも位相がズレまくっていて刺激的! 聴き逃しサービスを使って、じっくりと2度聴いた。

今朝、体温を測ると35度7分。平熱が低めだとすると数日前の38度台後半は、よほどの高熱。流行りの疫病なのか、年末年始の疲れが溜まった症状だったのか、寝てるだけでもキツいってのは久しぶり。

そろそろ良いだろ……とビールを一口、含んでみると哀しいほどに味がしない。苦みもなく、旨味も感受できず、ただ冷たいだけ。ヒヤッとした鉄みたいな口ざわり。コーヒーは美味しく飲めているのに、ビールだけが未だに受けつけられない。流石にちょっと落ち込んだ。

今日も通常営業! オンライン・ストア〈平凡〉にもご注目を!

2025/01/11

1/11 店日誌

1月11日、土曜日。寝込んでいる間に重宝したのが沢木耕太郎が毎年クリスマスイブに放送しているラジオ番組「Midnight Express 天涯へ」のアーカイヴ。体力がなくて本が読めない、レコードにも集中できない身にあって、耳に入れてるだけで済むのがとにかく助かった。途中で寝ちゃうのも気持ちがよくて、目が覚めて聴き直したりを繰り返して、動画サイトにあがってるものは網羅したはず(と書いていて、チェンマイへの旅の話をしていて時間が足らず、また次回……となった後のつづきが聴けてないと気がつく)。

意識的に書き手を追いかけはじめた最初が沢木耕太郎、次が椎名誠だった気がする。さほど冒険心のない意気地なしゆえか、先達の書くものに触れて、小さな旅をしたような感覚を得ていたのかもしれない。洒落っ気はゼロ。なんせ、はじめてのライブ・コンサート体験は×室××なのだ。

カセットコンロスの新譜『Calypso EXPRESS』(CD/LP)に加えて、『映画でも観よう/4 Mills Brothers』(7インチ)と『Wada Mambo’s home made monaural DELXUE 2』(CD)も到着! すべてオンライン・ストア〈平凡〉でも購入可能。

さあさあ、開店! 連休中も本の買取は大歓迎。お問い合わせはお気軽に。

2025/01/10

1/10 店日誌

1月10日、金曜日。ああ、ようやく。店を開けられるまでに回復した。三日三晩ってわけじゃないけど火曜から木曜まで、ほとんどの時間を寝て過ごした。初日は普通に夕食をとり早めに就寝。翌朝も普通に起きて動き出すも、やはり身体が重たい。予定を変えて午前中に帰宅、店も休むことにして布団に入るとガンガン頭が痛くなる。体温は38度8分。寝てるだけもシンドイくらいの状況をどうにかやり過ごすと、昨日の朝はわりあい軽やか。さらに昼まで寝ていたら、若干の食欲もあり回復傾向。なんなら店も開けるかなーと思うも踏みとどまった。

16時過ぎに布団に入ると、まあ暑い。じわじわ汗をかいて、服も布団もビショリ。朦朧として何時なんだかわからない。途中で服を脱ぎすてながら朝を迎えると、峠を越えた感覚あり。熱を計ると36度3分。やっと平熱が戻ってきた。おそるおそる口に含んだコーヒーも美味い。ここまでくれば、ほぼ回復したと言っていい。

新年4日から営業していたわけだけど、今日から本格的に営業再開。気分一新、身も軽くなったところで、改めて。今年もよろしくお願いします。

今日は15時、明日からの3連休中は13時開店。お暇があればご来店を。

2025/01/09

1/9 臨時休業

今日、1月9日(木)も臨時休業。明日から通常営業に戻ります。

2025/01/08

1/8 臨時休業

今日、1月8日(水)は臨時休業。店主体調不良のため。

2025/01/07

1/7 雑記

昨夜、店を閉めて帰宅すると、どうも調子がおかしい。不調までには至らずとも、頭が重く、身体はだるい。夕食後早々に就寝。途中何度か喉のかわきを覚えて、りんごジュース、お湯を飲む。朝になってもやはり身体に力がはいらない。立ち上がることはできても、横になっている方が心地いい。まあ一応……と熱を計ると37度2分。今日の予定はキャンセル、家で寝ていることにする。

昼過ぎに起きて、カフカ『変身』を読み終える。なんとなくイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズ『ドゥ・イット・ユアセルフ』に針を落とすと、形容しがたい軽快さ。ヒネたヴォーカルとバンドの組み合わせが面白い。ファンク~ディスコっぽいグルーヴに(パブ・)ロック的ビートが混ざっていて、曲によってはユル〜いレゲエ。ミクスチュアと言えば簡単だが、どうにか他の言葉で説明したい。

さて、もうひと眠り。熱は徐々に下がってきている。

2025/01/06

1/6 店日誌

1月6日、月曜日。街の動きが戻りつつある。通りすがる建築現場や工事現場も再開していて、バスや電車は平日運行。郵便局も開いていた。年末年始も開いてるコンビニやスーパー、ドラッグストアがあって助かった。各種配送を請け負っている個人事業主の人たちも大変だ。自分が休んでいる間、別の誰かが働いていて、賃金が発生してる。何ができるわけでもないのだが、そのことはどこかで意識しておきたい。

今日も通常営業。オンライン・ストア〈平凡〉にも動きあり。

2024年を振り返る

いやあ、終わった。最後の最後に届いたヒデさんのテキストを公開して、インスタグラムで紹介したあとの達成感には正直言って驚いた。意味あることを成し遂げた実感があり、30分ほど余韻にひたった。総勢18人の2024年。長短、硬軟はバラバラでも、まっすぐ向き合ってくれているのは伝わってくるから、受け手としても身が引き締まる。誤字はないか? 写真は間違えてないか? 順番はどうしようか? 考えをめぐらせながら慎重に、楽しみながら公開作業を続けた。

今年参加してくれたのは、Tact Sato河野友花金井タオル古山フウ石塚淳梶谷いこ土井政司小松﨑玉姫土田元気坂崎麻結野田晋平細田百合子前田浩彦中村友貴natunatuna宮里祐人植田彩乃森本英人。店で直に知り合うか、作品を通してのやり取りがあった人たち。

去年までは自分も前年を振り返るべきか、と逡巡したけれど、今年はまったく迷わない。この18人のテキストが、オレ自身の2024年でもある。記事制作が佳境に入った頃に自然と芽生えた感覚が、ストンと腑に落ちたのも不思議だ。

参加してくれたみなさま、読んで、感想を伝えてくれた方々に大きな感謝を! 本当にありがとう! 立場上、無理をするときもあるだろう。なかなか真意が伝わらないことあるだろう。でも、大丈夫。どこかで、誰かが、あなたの選択を受け止めている。明確な根拠はなくても、今はそう言える。

2025年もピープル・ブックストアをどうぞよろしく。

PEOPLE BOOKSTORE 植田浩平

2025/01/05

森本英人が2024年を振り返る

ひとつ良ければすべて良し、というのはいい。

 “伝説のイラストレーター”河村要助さんが、79年の夏に『ミュージックマガジン』に寄せたエッセイはこんな言葉で始まる。音楽ファンにとって、河村要助さんといえば「サルサの人」だ。「ひとつ良ければすべて良し」とはもちろんサルサのこと。「ためしにひとつのアルバムを手にしてみて、これはいいぞ、というのであれば目をつむってアルバムを選んでいただいて大丈夫。同質のサムシングを、そこに必ず見つけだせるはず。だから、ますますいい」というわけ。

 なんと粋で、エスプリに富んだ言葉だろう。知り合いのDJは「クンビアってどれ聴いても同じだよね」とスカのDJに言われたそうで、「おめーに言われたかねーよー」と憤慨していた。話を聞いた僕も「スカのDJが言うか」と彼女以上に憤慨した。でも河村さんはそれを、ひとつ良ければすべて良しというのは素敵じゃないか、という。「この音楽の良さを知るために、血まなこになって隠れたアルバムを探す必要はないのだから、これは大したことである。サルサの現況はこんな具合だ。隅から隅まで、ずーっと充実しているうれしさに、気がつくと我を忘れていた」。

 ほれぼれする。たかだか「音楽を聴く」ということに、何度も転んで何度も起きあがって向きあってきたのでなければ、こんなふうに言えない。

 2024年を振りかえってみると、こんな具合に、音楽をめぐって書かれた言葉とふたたび出会いなおしたこと、それがいちばんの出来事だった。こんなことになるとは思ってもみなかった。ある時期欠かさず買っていた『ミュージック・マガジン』に最後はほとほと嫌気がさして、『ブラック・ミュージック・リヴュー』や『レコード・コレクターズ』、その他さまざまな音楽雑誌もまとめてゴミ収集に出したのはもう20年以上も前のことだ。ものすごく勉強させてもらってもちろん感謝もしているけれど、音楽を聴くのにもう言葉は要らない、当時はそんな気持ちになっていたように思う。以来、音楽雑誌を手に取ることはほぼほぼなくなった。ここ数年は老眼が快調に進んで、音楽関係に限らず活字から離れる一方だったことを思えばなおさらだ。

 *

 きっかけは、奥渋谷の人気アフリカ〜クレオール料理&熱帯音楽酒場ロス・バルバドスの店主、ダイスケさんだった。ダイスケさんは、日本生まれ、いや、千葉の市川市生まれのルンバ・コンゴレーズ・バンド、オルケストル・ヨカ・ショックのベーシストでもある。ルンバ・コンゴレーズとは、アフリカの中央部にあるコンゴ民主主義共和国(当時のザイール共和国)発祥のダンサブルなポピュラー・ミュージックだ。のちに日本におけるコンゴ音楽の伝道師のひとりとなる市川市在住の音楽ライター、神宮正美氏のもと、ロック喫茶にたむろしていたセックス・ピストルズやフリクションやボブ・マーリーに夢中の不良少年(?)たちによって結成された。コンゴ一帯で広く用いられているリンガラ語でオリジナル曲を作詞作曲し、歌い、踊り、演奏した唯一無二のバンドである。

 ダイスケさんと一緒にルンバ・コンゴレーズのDJイベントをやったりしているここ数年の間に、この不世出のバンドのキャリアを追ってみたい、それと同時に、コンゴ音楽をはじめとするアフリカのポピュラー音楽がどのようにして日本に入ってきたのかということを自分なりに調べてみたいと思うようになった。

 あるとき、バンド結成当時の話を聞かせてもらっていると、「『ミュージック・マガジン』19812月号にコンゴ音楽の記事が」とか「83年に『ブルータス』が4月号 でアフリカ特集を組んで」とか、具体的な誌名が具体的な月号をともなって飛び出してくる。あわててメモを取り、ネットの古本屋で探してみると、その通りの雑誌がヒットした。10代の頃から音楽の聴き方がブレていない人の記憶力をナメてはいけない。その他、1980年前後の、アフリカやカリブ音楽関係の記事が載っている雑誌(結局『ミュージック・マガジン』や『ブラック・ミュージック・リヴュー』になるのだけれど)を探していると、本人はそんなことをおくびにも出さなかったが、若き日のダイスケさんが寄稿している『ブラック・ミュージック・リヴュー』も見つけてしまった。それらを適当に見繕って買って、読んでみることにした。 

 これが、べらぼうにおもしろかった。

 『ブルータス』の特集「黄金のアフリカ」は圧巻だった。写真の美しさ、鮮やかさ、アフリカの景色のしなやかな躍動感と眠気を誘うような長閑けさのコントラストに目を奪われた。企画のスケールと熱気、記事の濃度とヴォリュームに圧倒された。ナイロビの生き生きとしたナイトライフの様子が、ケニア盤の7インチ(!)とともに紹介されているのに、なにより驚いた。

 『マガジン』の81年2月号では、文化人類学者の岡崎彰さんが、アフリカから直に持ち帰ってきたザイール音楽のレコードをズラリと紹介していた。「黒い予言者たちの音楽〜アフリカ、ザイールの多彩なサウンド」と題されたその記事 には、いまネットで探してみても見あたらない、フィールドワークの調査をしているうちに現地の音楽に夢中になってしまったという岡崎さんならでは情報が満載だった。

 『ブラック・ミュージック・リヴュー』19855月号のダイスケさんの寄稿文からは、ザイールの首都キンシャサを初めて訪れたときの興奮とうれしさがビシバシと伝わってくる。なんと、当時キンシャサで人気実力共にナンバーワンだったオルケストル、グラン・ザイコのステージに招かれ、一緒に演奏しているのだ。当時のキンシャサの最新スタイルなのか、それとも市川のヤンキースタイルなのか、バッチリ剃り込みの入った頭にグラサン姿で演奏している写真の中のダイスケさんはとても楽しそうだ。

 *

 この時代の、雑誌ならではのおもしろさをあらためて実感する。レコード・ジャケットのリヴュー・コーナーがある。書評やコラムの鋭さ、キビシさには正直ときどき怖気が立った。読者投稿欄には、音楽批評家やミュージシャンによる長過ぎる反論が律儀に掲載されていた。そういえば『ブラック・ミュージック・リヴュー』の細かすぎるニュース欄がお気に入りで、まずはここから読みはじめていたものだった。ついにロバート・ジョンスンの生前の写真がみつかった!というニュースのあとには、カリブ音楽のレコードに力を入れていたお店が閉店したという一報。しばらく後の号には、やっぱりロバート・ジョンスンの写真はガセだったいう報告に並んで、地方の高校生ブルース・バンドから演奏を録音したテープが編集部に送られてきたといい、お礼と「頑張って」の一言。そしてしばらくするとまた、今度こそ本物だろうというR・ジョンスンの写真の話題。クラブ・イベントではなく、トークショー込みのレコード・コンサート(試聴会)、ファニア・オール・スターズのライヴのフィルム上映会などが活況を呈していた様子が伝わってきて新鮮だ。ダイスケさんから聞いたその頃の話の中でも、何度聞いてもココロトキメいてしまうエピソードに、あるアフリカのレコード・コンサートで、前述の岡崎彰さんのトークの最中、あの村八分の山口富士夫さんが酔っぱらって乱入し、ステージ上で岡崎さんと突然殴り合いを始めたというのがある。中村とうようさんや神宮正美さんたちが慌てて、必死にとめに入ったという夢のような豪華キャストの一幕だ。このイベントの告知をニュース欄に見つけたときは思わず小躍りしてしまった。

 それからというもの、1970年代半ばから1980年代半ばあたりまでの『ブラック・ミュージック・リヴュー』と『ミュージック・マガジン』を手当り次第に買い込んで、夢中になって読んでいる。そこは、知っているようで知らない世界だった。わかっている気でいたが、想像していたのとはずいぶんと違う世界が広がっていた。

 いまはだたひたすら記事を読み、河村さんのような書き手の文章にメロメロになってため息をつきながら、アフリカやカリブのポピュラー音楽が日本に入ってきた経緯をソートアウトして年表をつくり、自分なりにまとめるのに勤しんでいる。ノートに書きだす作業を楽しみながら、いったいこの開放感はどこからやってくるのだろう、それを見極めてみたいという気持ちが何度も湧いてくるのだけれど、それについてはいまの作業が一段落してから、またあらためてじっくりと向き合ってみたい。

 冒頭で触れた河村要助さんのエッセイのタイトルは「サルサは捨て身でつかみたい」という。

 そう、捨て身でつかんでみたいのだ。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。


1/5 店日誌

1月5日、日曜日。ザ・バンド『ラスト・ワルツ』のレコードにしみじみと耳を傾ける。有名なテーマ曲で幕を開け、バンドが2曲演奏したところで登場するのはニール・ヤング。「ユー・ノウ・ディス・ガイ?」と紹介されて歌いだす「ヘルプレス」を聴くとイメージが広がる。仲間はいても孤独な男。にぎやかな場を離れて、彼はひとりで歩いていく。鼻に粉をぶっつめたまま……。いやはや、3枚組のレコードに集中するのも大変だ。

元旦から公開してきた「2024年を振り返る」もひと段落。参加してくれた17人に改めてお礼を。なんて書きたいのだけれど、実はもう1人残ってる。18人目の原稿を紹介できるのは15時か、もしかすると17時か。今日中にはアップできるはず。

そう言えば! 年末にとある不届者がトイレのドアノブを持って帰ってしまって(なんでだよ!)、何人かが閉じ込められている。まさか、店にいて電話で助けを求められるとは。

今日明日の営業は13時から19時まで。お暇があればお出かけください。

2025/01/04

植田彩乃が2024年を振り返る

もう一人旅はできない

 

8月、北海道でそう思った。

これまで南は吐噶喇列島から北はアイルランドまで、どこでも一人で行ってきたのに

行きたかった目的地思っていたよりも遠く、どこも辿り着けなかった

さびしくて何にもやることがない自分の無計画さに途方に暮れて、円山動物園のたちを眺めなが予定よりも早く帰ること決めた。

 

秋になり、友人Rから長崎に来ないかという連絡が来た。Rは中学と高校の同級生で長崎にある大学の水産学部に通っている。浪人したRも、1年フラフラしてから大学院に入った私も24歳でまだ学生。地元でたまに顔を合わせる以外は連絡もあまり取っていなかった。誰かに会いに行くことならできるかもしれないと思い、日後長崎行くと伝えた。

 

長崎に着いてから私とR池島へ向かった。

人口90名、周囲4Kmほどの小さな島だった。

 

出発前、乗船実習で同級生にもらったという封の開いたラッキーストライクをRがくれた

船では有り難かったけどに戻ればハイライトが買えるのでもういらないという。

久しぶりに会ったRタバコを吸い、海についてよく話すようになっていた。知らない魚次々挙げながらそれがどんなに美味しいか説明してくれたけれど、名前が思い出せない。

 

池島には2001年まで炭鉱があり、炭鉱夫やその家族が島に残したせいで増えてしまった猫たちが島中でまどろんでいる。私とRは坑内を歩くことのできる見学ツアーに参加した。

ヘルメットについたキャップランプの灯りを全部消したとき、目の前にかたまりのような真っ暗闇が現れて、じっと眺めた。自分の手さえ見えなかった。

 

猫好きなRは島で猫を見かけるたびに立ち止まっていたが、一匹の猫が足元に擦りよって来たとき「おまえ、それはだめだよ」といった。見ると、Rの足の親指に血がついていた。猫の血だった。

猫たちは今や人間よりも増えてしまい、当然、体調管理などされているわけでもないので病気や栄養失調で死んでしまい育たないことが多いのだという。ウェットティッシュを手渡すと、Rは「ありがとう」と言って猫の血を拭った。夕飯を食べる店もない島だったのでサワークリーム味のプリングルスを食べて一晩過ごした。

 

島から戻った後もRの家でお世話になり、4泊5日を長崎で過ごした。卒業して以来5日間も一緒にいることはなかったから不思議な感じがした。それは小学生の頃、雷ひどい日に、先生が危ないからと言って下校時間が過ぎてもクラスメイトたちと教室で過ごした時のみょうにワクワクした気持ちに似ていた。

 

長崎駅の改札でRと別れ、今自分の近くにいる人たちにお土産をたくさん持って

その人たちに何を話そうか考えながら帰路についた

来年もやっぱりどこかに行きたいと思う。

宮里祐人が2024年を振り返る

こんにちは。東京の京王線・代田橋駅という駅の目の前でバックパックブックスという3畳ほどの本屋をやっている宮里祐人と申します。古本と少しの新刊を扱うお店です。

2021年3月に開店したので、今年は4年目。

今年は、本当にとりあえず続けることができて良かった、ということに尽きる1年でした。

売り上げがグンと伸びたなんてことは全くなく、と言うかなんというか…な状態なのですが、かろうじてだんだん時間の使い方が掴めてきて、本を読むのはもちろん、映画やライブに行ったりする時間が取れるようになってきました。とは言っても、やはりお店に全然人が来ないととんでもない恐怖に襲われます。特にうちは駅前なので、駅から出てくる人が通り過ぎていくのを眺めていると「自分はこの大勢の人たちからは見えない存在なのかもしれない」なんて気がしてきて、本や映画になんて全然集中できなくなってしまいます。そんな不安に苛まれながらもふと思い出すことの多かった2024年に出会った作品などを少しほど。

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・濱口竜介監督『悪は存在しない』

濱口監督と三宅唱監督は『寝ても覚めても』と『きみの鳥はうたえる』の同日公開など、よく比べられると思いますが、今年は二人の新作が劇場公開されて、それだけで幸せな年だった気がします。映画を動かしている力が、濱口監督は理論的な感じがするのに対して、三宅監督の方がなんというか動物的な感じがして、今までどちらかと言えば三宅監督の作品のほうを好んでいたのですが、今年は濱口監督のこの作品を思い出すことが多かったです。この映画はすごかった。観客の眼差しまでを取り込んだ現代のフィルム・ノワールを撮っていると思いました。

・小森はるか監督『空に聞く』

東日本大震災の後、「陸前高田災害FM」のパーソナリティを約3年半務めた阿部裕美さんを追ったドキュメンタリー映画。喋ること自体が持っている力を見せてもらった気がしました。声を聞くこととは。他者の、自分の、死者の、そして未来の。ゆっくり考えながら生きたいと思いました。

・guca owl『Working Class King Tour』10/3,Zepp DiverCity

東大阪出身のラッパーguca owlのワンマンライブ。フリースタイルバトルでもなく、少し前まで流行りに流行っていたトラップにありがちなビートアプローチでもなく、独特な節回しと言葉使いで、なおかつ派手な客演などもせずにのし上ってきたそのスタイルがめちゃくちゃ格好いい。自分より10歳くらい年下なので1人でライブに行くのはなかなか勇気がいるなぁと思っていたけどこれは行けて良かった。大人になっていくことに対するなんとも言えない気持ちが詰まったような時間と空間に、少し大人の側から混ぜてもらったような感覚。誰に感謝すればいいか分からないけど混ぜてもらってありがたかった夜。MCもほぼなし、客演もアンコールもなし、こんな潔いライブはなかなか無い。個人的に今年のハイライトの夜でした。

・北海道と沖縄

土地をめぐる人々の歴史を考えようと思い、2月に北海道へ、6月に沖縄本島へ、それぞれ10日間の旅に出ました。頭で知っていることでも、実際に歩いて、見て、車や原付で移動してみて、そうやって出来るだけ実感に近いところに言葉を落としていけたらと思っています。

・ベトナム戦争についての本

最近は、開高健『輝ける闇』『夏の闇』、石川文洋『戦場カメラマン』などベトナム戦争についての本を読んでいます。ディランなどはもちろん、黒人音楽やアメリカン・ニューシネマなどベトナム反戦運動の影響を強く受けたとされるカルチャーを10代後半ごろから好んで観たり聴いたりしてきた自覚があるのですが、カルチャー面だけを消費している自分の立場とは何ぞやと考えることが多かったからです。それは沖縄に行ったことも大きく関係していると思います。そうしたカルチャー側だけを本土にいて消費できてしまうこと自体を考え直さないとなぁと思っています。ほんとうに今更ですみません…という感じなのだけど…。最近、盛り上がっているアジアの音楽に対してもそうした視点を失わないようにしたい。

・小野和子『あいたくて ききたくて 旅に出る』

50年以上、東北地方の村々を訪ねて昔話や民話を聞いて回っている小野和子さんの1冊。自然の中や人の心や人間関係の中の割り切れない箇所を、昔の人はフシギな話に溶かしていたのかなぁなんて感じるのですが、この本を読んでいるとそれは遠い昔の話ではなくて例えば祖父母の子どもの頃などのごく最近のことだったことが伝わってきます。時代の発展とともにそういうフシギなものがどんどんどんどん綺麗で透明で分かりやすいものと置き換わってるのだと感じる。それってどうなのだろう。昔の方が…という話ではなくて、人の認識の仕方がどう変わっていっているのかに興味があります。小野さんが登場する濱口監督の映画『うたうひと』が近所の下高井戸シネマでやっていたのですが、見逃してしまったのがとても残念。

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冒頭の続けることができて良かった、と言う話の詳細はまた別のところで形にできればと思ってるのですが、少しだけ触れると、店舗となるテナントを借りたのが2020年12月。3年間の契約だったのでちょうど1年前の2023年12月にその契約が終わりました。その際にいろいろな事情があってとりあえず1年の契約更新となりました。つまり今年の12月迄。

今年1年は、なんとかその諸事情をクリアしてこの場所でお店を続けるべく、相談やお願いをして回っていました。そしてなんとか来年もお店を続けられることになった、そんな1年でした。

続けるために大きな決断をして、金銭的な面で言うとこれまでの賃料の3倍以上の額を毎月支払わないといけなくなってしまいました。とりあえず11月と12月は払えた。ということは今までの3年間どこにお金が消えていっていたのだろう、、とフシギになるのですが…。これまでのこともこれからのことも考え過ぎると本当に吐きそうになるので、あまり考えないようにしています。

それに伴って、お店の2階部分の8畳ほどの小部屋を、バックパックブックスの隣のomiyageの店主・ロボ宙さんと一緒に使えるようにしました。これから小さなイベントや上映会など企画していく予定です。もしご興味ある方がいましたらぜひ覗きに来てみてたり、声をかけてもらえたりしたら嬉しいです!

最後の2ヶ月ほどはこの1年間の経緯の報告も兼ねて、大阪、つくば、などなどに人を訪ねていました。なんというか、すこしだけボーナスタイムみたいな感覚で、大事な人とくだらない話をしながら酒を飲めて本当に良かったなぁという日々です。来年は、今年遠ざかってしまった登山、ずっとできていなかったラップにきちんと向き合いたいと思います。何ができるか、どこへ行けるか分かりませんが、側から見れば格好の悪くてみっともない踊りを、無様なりに踊れたらなぁと思っています。

今回の機会をいただいて、なんだか自分の中に2024年が定着していく感じがしました。ありがとうございました。読んでくださった方とも植田さんとも2025年どこかでお会いできましたら!


natunatunaが2024年を振り返る

2024年にライブペインティングをしたミュージシャン

これを書いてる今、2025年1月1日。実家に帰る車の中、千代田SA、ホットコーヒーはMサイズ

わたしは絵描きだ。絵だけで生計を立てている。はっきり言ってギリギリ以外の何物でもない。実は今も中々の窮地に立たされている、いや自分でそうした、2024のカレンダーがまだ描き上がらずに2025に降り立ってしまった。窮地に立つどころか、先に自分だけ2025に来てしまった。

そんなところから2024を振り返る。このカレンダー未遂事件は結構2024の象徴みたいな出来事だなと思っている。

実はわたしの手元に2025のカレンダーがすでに三つある。もうすぐもう一つ手に入る。一体この世の中にイラストレーターや絵描きはどのくらいいるんだろう。絵を描き、それを販売する。昔からその仕組みはほとんど変わっていない。ただ、外には出しやすくなった。それ自体はとてもいいことだと思う。

自分もずっと裾野を広げたいな、と思っていた。そういう活動もしてきた。でもある時気づいたら、わたしも裾野の一部分になっていた。ハッとしてあたりを見渡すとそこに山はない。なにを目指せば良いかわからない。2024、その荒野でなにができるか。

隣りをみたら、音楽の界隈も同じことになってる気がした。自分が素晴らしいと思うミュージシャンの音楽がすみずみまで届いていない。これは同じ問題なのではないか。

届ける手段がSNSが主流になった時に、大事な鍵になるのがわかりやすさ。このわかりやすさって物差しの厄介さをどうぶっこわしていくか。このわかりやすさの先には消費と飽和が待ってんぞ。

現場現場、SNSは現場に通じる窓や入り口と捉えたい。そしてその先こそをきちんと耕す。簡単に消費させてたまるもんか。時間かかっても、納得いくものを作ること(カレンダーに通じるのはここ)、そして、それと同時に、素晴らしい表現をしている方々にスポットをあてる場をつくっていくこと。時間は残酷、待ってはくれない。

実家である日母と話した。この先どうするかについて。「とにかく50まで、思い切りやってみる。その後どうにもならんかったらバイトでもなんでもするから!」20年前に一度言ったことのあるセリフをまた言うことになるとは。重みが違う。働くのが嫌いなわけではない。でもわたし、やらにゃならんことが目の前にいっぱいになってしまった。母は安心したと言ってくれた、こんな不安定な宣言に。ごめんねは飲み込んだ。思い出しては泣けてくる。もうやるしかない!

期限付きだと異様にやる気がでる。スタートだかスパートだかわからないけれど、そんなのもうどっちでもいいのだ。

2024年4月6日、NRQつくば公演(会場は〈aNTENA〉)

とにかく企画をたくさんうった。なかでもNRQをつくばに呼んだ4月6日と、ケバブジョンソンとpottmannの10月26日の企画は一生忘れない。つくばの街の中で耕していくことは今年も企み中。

自分の絵の方は、根無草でかまわない。軽自動車に詰め込んであちこちに行く。自分が納得いく表現をしていけばきっと各地に数人くらい、わかりにくいわたしの活動を本気でわかろうとしてくれる人に出会えるはずだ。プライドなんていらない。2024は素晴らしい出会いがたくさんあった。何者でもない自分をこわがらないでその土地その土地に身を投じること。

自分が良いと思えないものは描かないし売らない。そう思いすぎたのかなかなかカレンダーが仕上がらない。みんなが待っているからはやく描かなきゃ、と思っていたけど、今は自分が描きたくて描いてるんだよと心から思えている。それを楽しみにしてくれる方々の存在にはとことん感謝しながら。大事にしたい。

中村友貴が2024年を振り返る

2024年は、外に出ようと思っていた年で、実際に店を飛び出して、全国各地で湯湯の味を届ける機会に恵まれた。宣言もしたし、心の方向を外に向けていたからなのか、各地の人や店が導いてくれた。直方、つくば、埼玉、八女、京都、久留米、島根、鳥取、岡山、広島、小倉。鹿児島でも何ヶ所か。お世話になりました。

店があるのに、それを置いといて、外に出て出店をする必要性とは果たして何なのであろうか。自分の中での最も大きな理由は、「受け入れる側」が仕事でもある店の立場を反転させて、「受け入れてもらう側」を体感してみたかったから。それも、ただの旅ではなく仕事で。そしたら、各地を移動して届ける側への理解も増すだろうし、店側への解像度もより深くなるだろう。そしてそれは、実際にそうだったし、良くも悪くも、色んなことが見えるようになった。

自分を含めて、“ヌルい”とすぐ化けの皮が剥がれてしまうのだ。気付いた時には、ヒヤッとした。だから常に全力を尽くすしかない。とは言えコンディションだって状況だってまちまちだ。でも、どんな場面でも全力出してるなぁ、なんて感じる先人達は、何かを切り捨て犠牲にしてでも、全力にもっていけるように、普段から集中しているのだ。そういう生活をしている。気の多い自分には難しいだろうが、言い訳をしないためにも、少しずつ、手放すことも必要になってくるだろう。そんなことにも気付けた。

そして、店の外に出ると「無名である」という当たり前のことにも気付かされた。無名である自分が、全く知らない土地で、ムードと喋りと匂いと味で、その場限りかもしれないが、小さな経済圏を生まねばならぬ。自分さえ良ければ、ではなく、出店させてもらった店やイベントにも還元出来る何かがないといけない。義理、を越えた何かが欲しい。何度もそんな場面を体感して、店をやるスタンスや商売に対するマインドは大いに更新されたような気がする。そしてそれは料理や味にもダイレクトに出てくるはず。ここでも先人達の背中をたくさん見せてもらった。

そう、結局のところは商売なのだ。飽きない商いを、続けていきたい。仕事の旅もそれ以外の小さな旅もたくさんして、お金が無くなった2024年でもあった。払いたい場面で払えず、入ってきてほしいところでお金が入ってこず、もどかしい思いもたくさんした笑 30も過ぎていまだにこんな状況なのが笑えるが、そんな状況を察してなのか、とあるギャラリーオーナーから「男は40なるまでお金はついてこないから!」とバシッと言われたことを御守りに、来年こそはもっと実直に商売をしていきたいですね。していかねばならぬ。お客さんが減ったわけではなく、むしろ増えているんだけどね。

メディアやSNSが拾えない、各地の店の空気を知ったことや、店で展示をしてくれた作家によって、まだまだ湯湯で出来ることがたくさんあることにも気付いたので、来年は、自分で可能性を閉ざさず、もっと店のなかの細かいことに時間と愛情を注ぎたいと思います!ああ、〈たぬき庵〉のことや植田さんが鹿児島に来てくれたことも書きたかったけど、長くなり過ぎるので諦めます。

最後に、店を通してたまたま出会ったウエダシズカのアルバムから1曲。2023年のリリースだけど、2024年に出会った、最も興奮した今年を象徴する音源でした!


食堂 湯湯 / 中村友貴
〒892-0821
住所:鹿児島県鹿児島市名山町10-4 M104ビル
電話:080-1543-9083

1/4 店日誌

1月4日、土曜日。サブスクリプションの無料期間が終わる間際に、ケリー・ライカート監督作品『オールド・ジョイ』を観た。マークとカートの2人が車で走る。ながれる景色、ただよう煙、車内の会話。現実世界とは切り離された時間。生活に捕らわれず、定式化された幸福像への疑念を隠さないカートの危うさが際だつ。戸惑いながらも突き放せないマーク。ときにゾッさせるが、大きな出来事はなく、時間が進んでいく。

ボニー・プリンス・ビリーことウィル・オールダム演じるカートが助手席でマリファナを一服するところで音楽スーッとはいってくる。ヨ・ラ・テンゴによる演奏は、まさしく劇伴。劇に伴いながら走る音。来月発売のサウンド・トラック盤を買うべきか……迷っている。

ラストシーンで街を彷徨するカートの姿が目に焼きつく。生々しさのあるカメラワークが、同じように街をさまよう主人公をとらえる『荒野にて』を思い出させた(エンディングで流れるのはボニー・プリンス・ビリーの「The World’s Greatest」)。

今日も「2024年を振り返る」の公開が続くため、変則的な店日誌。9時公開にしてるけど、店の営業は13時から19時まで。今日から3日間はその時間で、定休日の7日(火)以降は通常営業。2025年もピープル・ブックストアをどうぞよろしく。

ではでは、13時からご来店を待ってます! 本の買取も大歓迎です!

2025/01/03

前田浩彦が2024年を振り返る

「第8回あわぶっく市(2024/11/10)」撮影=andH&M

千葉県最南端の南房総市に住んでいる前田浩彦と申します。ピープルの通販利用者のひとりです。今回このような機会をいただき、恐縮しております。南房総市は房総半島の先端で、周囲は海に囲まれ、内陸部では田んぼや畑ばかりの、のんびりとした地方都市です。そんなレイドバックした田舎モンが、今年を振り返ってみました。

「1,188冊」
田舎ゆえに本屋も少なく、だったら本と出会う場を作ろうということで、毎年秋に「あわぶっく市」というブックマーケットを、市内の道の駅・ローズマリー公園で企画しています。8回目の今年は30店の本屋とフード9店が出店、例年以上の来場者で開催できました。当日は朝から雲でどんよりとしたはっきりしない天気。途中雨に降られて屋外にいた出店者を屋内に移すなどハプニングもありましが、逆に悪天候ゆえ来場者が雨宿りをかねてじっくり本を見て選んだようで、1日で総数1,188冊の本が旅立っていきました。

「ヘイヘイホー」
隣の鴨川市にある「カフェ・カルトーラ」というお店で、仲間と「夜の音楽鑑賞会」という集まりを隔月で開催しています。毎回お題を決めて、参加者がそれぞれ2曲を選曲し皆で聴くという会です。年齢層も30代~70代、ジャンルもバラバラなので、毎回聴かず嫌いだった音楽との出会いがあります。今年は「1」、「魚」、「祭り」、「地名」、「人名」というお題でした。なかでも再発見したのが北島三郎の「与作」(「人名」の回)。爆音で聴く「与作」は、エコーのかけ方やカウベルのクワ~ンという飛び道具な音の使い方など、ダブの名盤BLACK UHURUの『The Dub Factor』に通じる気持ちよさがありました。音質も、さすが昭和歌謡曲のプロダクションで、声、楽器の全てが粒立ちしていてゴージャスな1曲です。

「100回目」
9年前から毎月「非資本主義の可能性をさぐる」というテーマで読書会をしています。課題本を事前に読んで感想を述べあう会です。今年は『言語の本質』(著=今井むつみ・秋田喜美)、『整体読本 ある』(聞き手:鶴崎いづみ・話し手:川崎智子)、『怯えの時代』(著=内山節)他を読み、11月で100回目となりました。100回もやって、非資本主義の可能性がさぐれたのかぁ? なんではありますが、人が直にあってウダウダと話すこと、この非効率さこそがコスパ重視とは対極な非資本主義的であると確信しています。

「ファンク ! ダブ!! パンク!!!」
最後に今年印象に残ったライヴを。

<ファンク!> 8月、横浜寿町フリーコンサートのTEIYU CONNECTIONS。
寿町の職安前広場もきれいになり、あの街独特の「ムッとした」匂いがなくなっていてびっくり。少し寂しかったですが、缶ビールを片手にあの場所で聴くJAGATARA・江戸アケミの詞はやはり格別。特にノブ(ジャングルズ)のヴォーカルが詞を際立たせていて、ズシっときました。名曲「タンゴ」を聴きながら、ドヤ街のビルの隙間から見る夏の青空が最高でした。

<ダブ!!> 9月、渋谷O-EASTのクリエイション・レベル。
E・シャーウッドのダブミックスも凄かった(低音で鼻がゆれて、かゆくなった)ですが、ドラマーが芸達者で、スネアのふちで刻むリズムが最高。レゲエの奥深さをあらためて知ったライヴでした。友部正人の「銀座線を探して」ではないですが、降り立った渋谷駅の変貌ぶりに唖然…。あの構造は、人を迷わせるために作られた嫌がらせとしか思えないです。

「松本佳奈ホールコンサート(2024/12/1)」撮影=なぼ作

<パンク!!!> 12月、かずさアカデミアホールの松本佳奈。
松本佳奈は木更津を中心に活動するシンガーソングライターです。ピアノの弾き語りを主に、カフェやライヴハウスでライヴを行なっている彼女。今回は地域最大級の700名キャパの会場で、ソロコンサートに挑戦。そのチャレンジ精神と大きな会場を揺らした歌に、「自己規制するな、まずはDiY」のパンク・スピリットを感じました。

細田百合子が2024年を振り返る


PEOPLE  BOOKSTOREと同じ天久保地区でgalleryYというレンタルギャラリーを運営している細田百合子と申します。植田さんからこのお話を頂いてとても恐縮しています。と同時に、この一年を振り返る機会を与えてくださったことに感謝しています

2024年を私が振り返るには、ちょっとだけ2022年から振り返らなくてはいけないようです。

少しの間、お付き合いいただけたら幸いです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

2022年の冬になる頃、病気が見つかりました。

展示が続く時期だったので、体調の変化は疲れからかな?くらいの軽い気持ちで受診した病院。今まで健康だけが取り柄だった私は、まさかそこから少し長めにギャラリーを休廊することになるとは思いもよりませんでした。

 休廊該当期間にご予約頂いていた作家さんたちに私の状況と延期もしくはキャンセルのご連絡をするのは本当に辛かったです。この場所に何かを感じて展示をやろうと決めてくださり、会期に向けてご自身の作品と向き合い続けた時間を私が奪ってしまう。

申し訳なさでいっぱいの気持ちでした。

 

目まぐるしく変化していく日常において、とにかく目の前のタスクを一つずつこなしていくような日々が続きました。心も身体もかなり不安定な状態だった私を救ってくれたのは、私の周りの大切な人たち。手厚いサポートとやさしくのんびり声をかけてくれました。

そして、未来についての具体的な約束ができない中でも「ここでやりたいので待ちます!」と言ってくださった作家さんや「このギャラリーが好き!」と言ってくださったお客様の存在はとても大きなものでした。

この場所を通して出会うことができた人たちが、たくさんの愛情を私自身に注いでくださったこと。本当に感謝してもしきれない毎日でした。復活するためのたくさんの力をたくさんの人たちから頂きました。

ありがとうございました。

 

そして、2024年。

ゆっくりですが、少しずつ展示を再開できたことが何よりもの喜びでした。

何度か展示してくださっている作家さんを筆頭に初めてご利用くださる作家さんとの新しい出会いもありました。

作家さんたちのあの日の続きや初めて展示される作家さんのスタート地点をこの目で確認できたこと。白い壁が作品で彩られることが嬉しくて。作品を介して作家さんやお客様との交流が楽しくて。

「そうそう、これ!これ!この感じ!!」と久しぶりの感覚を味わい尽くした1年でした。

病気をして良かったなんて1ミリも思っていませんが、何気ない日常という世界から生まれる繊細な感情(プラスなこともマイナスなことも)により深く耳を傾けながら生きてみたいと思えたことは、日々の出来事に慣れすぎてこぼれ落ちていった感覚を再度救い上げるような行為であり、自己と他者を考える上でもとても大切なことだと思えました。

それだけは良かったのかなと思っています。

 

2024年はギャラリーの大きな窓から外の景色を眺めることができました。

季節の移ろい、そこに反射して映る展示された作品たち。2023年には見ることが叶わなかったこの窓からの景色を存分に味わえたこと。嬉しかったな。

ゆっくりのんびりでも良いからこれからもこの場所を続けていきたいなぁと改めて思えた2024年です。小さなギャラリーのささやかな日常をこれからも大切にしていきたいと思っています。

粛々と誠実に。

そして心からの感謝を込めて。

 

・・おまけ・・


ここまで書いておきながら、なんだか内容が暗い・・・と焦っています。

なので、今年の私のご機嫌な出来事を3つだけ挙げておきます。

1.ほろ酔いの帰り道、歩道のラインがスタートラインに見えて「よーい、どん!」と急に走り出したらわずか2歩で盛大にコケて幼少期以来の擦り傷。擦り傷って地味に痛いということを思い出しました・・・。足の指に肉芽が出来てしまい皮膚科にて液体窒素で焼いてもらう羽目に。二度と走るまいと反省した夏の夜でした。

2. 相変わらず酒場が好きです。飲酒というよりは、あの雰囲気が好きなのです。PEOPLE  BOOKSTOREで購入する本もほぼ酒場本です。

飲み過ぎは良くないので、「今は泣く泣く4杯までと決めている」と言っていたら、最近はビール警察が出動してくれるようになりました。しかし、周囲の勘違いにより7杯飲んだことにされていたことも!! 任意の取調べの末、めでたく無実を勝ち取りました。

3.耳鳴りがするので、突発性難聴の疑いがあると言われ慌てて耳鼻科を受診し聴覚検査をしたら、「20代の聴覚です!」と医師に言われ治療なしで帰されました。帰り道、鼻歌を唄いながらちょっとだけ無敵になれた気分でした。

色々振り返りましたが、結局のところ、自分のことを笑えるって大事だなぁと思ったので、2025年も自分に呆れながら笑っていたいなぁと思った次第です。

皆様が笑顔あふれる1年でありますように!!


野田晋平が2024年を振り返る


2024年を振り返る 

京都在住。魅惑のオンラインショップ「パライソレコード」野田晋平といいます。

 

今年は戦争、災害、政治、スポーツの祭典、芸能人・アーティストの訃報など、世の中は喜怒哀楽激動に流れて、その勢いに飲まれるように日々立ち止まれる事なくあっという間に終わってしまった1年だった。さて2024年を振り返ってというお話をいただいたものの一個人としては正直あまり思い出せることがない「記録より記憶を」なんて思っていて、普段あまり写真を撮らないで、携帯に残された写真は8日分の出来事のみだった。肝心要の記憶力足を引っ張られてしまっている

 

流行り病への警戒薄れて、元の生活に戻り始めたのがここ1、2年。私の店にも少し変化が訪れた。2016年からオンラインショップを立ち上げ、闇雲にやってきた初期を経た時にコロナ禍に突入。ステイホームが後押しとなったのかこの時期から売り上げが伸びていったが、今年はついにそれが止まってしまった。レコードや送料の値上げ、お客さん実店舗へ戻っていったなど、色んな外的要因を考えていたけれど、つい最近近年、パライソ色とは異なる空気、雰囲気も増していると感じています。」という貴重な意見頂き、自覚はあったが、そこもそうだなと、真摯に受け止め、また一から改めてやるしかないと思っている2024年年の瀬です。



とまあ、カタになってしまったので、本当にどうでもいいユル話を。日々時間がない生活を送っているので、ご飯を食べるにだけ、映画やドラマをアマゾンプライムで観るという映画ファンからしたら確実に非難されるバチ当たりやり方で、今更ながら「ツインピークス」を数ヶ月かけて観た。内容の感想はさて置いておき、ノーマ役のペギーリプトンのメガトン級の色気たるや!彼女1968年にリリースした唯一のレア盤アルバム「PEGGY LIPTON」が改めて、心のウォントリスト上位急上昇したのです。そんな中、元夫であったクインシー・ジョーンズの訃報。クインシーなしでは「キング・オブ・ポップ」マイケル・ジャクソンの誕生もなかっかもしれません。本当にお疲れさました

 

そして今、ヴィムヴェンダース監督PERFECT DAYS相変わらずバチ当たり方式で観はじめている。何かトラブルが起きそうこの人が思わぬストーリーへと展開させるのか、気を張って観ていたが、半分くらいまで観たところ、只々おじさん(役所広司の日々の丁寧なルーティーンが美しいカット割と音楽で映し出されているだけで、自分の妙な勘繰りがことごとくそして気持ちよく裏切られて続けているもういっそこのまま起こらず、穏やかに終わって欲しいという期待さえ芽生えてきた今年はもう続きを観るのはやめようと思う。

 

※冒頭の写真は2024年1月8日大阪の高津神社で久々に復活した「とん祭り」での木村充揮さんのライブ。