2024/08/07

8/7 店日誌

8月7日、水曜日。画像のないブログに慣れてきて、この状態でないと書けないこと、出せない雰囲気があるのでは……と気がついた。インスタグラムみたいにメンションができないから、話題にしている人に届く可能性はかなり低い(だからといって、好き放題に書こうとは思わない)から、書くにも工夫が必要だ。多くの人に読んでもらうための技術がない分、サボらないのを前提として、あらたな語り口をつくれたらなあと思っている。

長谷川四郎『シベリヤ物語』を読んでいて、眠くなったのが21時。目が覚めて草刈りと体操を終えて、コーヒーを淹れたのが7時ころ。編者・堀江敏幸の解説を読み終えて、8時すぎ。時間の流れってのは不思議だ。はやかったり、おそかったりが混ざりあって過ぎていく。

オンライン・ストア〈平凡〉にあげる古本への反応があると嬉しい。新刊や新譜はもちろんだけど、時代を越えて提案できる古本があってこその面白味がある。キャッシュレス決済を主にする便利な場ではあれ、含み(時間的なタメ──溜め? 貯め?──)のある場として活かしていきたい。

今日明日、明後日は15時開店。お盆にともなう連休中も通常通りの営業予定。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

このブログ、すばらしいので、もしよかったら読んでみてください。https://james1983.com/

「現実を見つめる解像度の高さ」という言い方があります。

精神上の自由と物質上の自由は、あられもなく簡単でない縺れ合い方をして、結局は、比例しているようです。

さいきん訳した詩を、もはやこんなふうに訳すと誰のものでもよいので誰の詩とも言いませんが、なんの意味もなく貼っておきます。





よく晴れて澄んだ朝、門をたたく音が聞こえて、脱ぎ散らかしたのを手当りしだいにひっつかんであけにゆく。
――誰ですかいな。
百姓おやじが懐っこい笑みを浮かべていて、酒壺ひっさげて、はるばる逢いにきてくれたんだという。

――先生よ、わしにはとんと腑に落ちんだが、あばら屋の下ぼろを着て、それでも高尚な生活といえるんかいな。世の中みんなおんなじであるということを貴んどる。どうか、その泥をかき乱さんでやってくれんか。

それは、深いことだ。

とはいえわたしは、生まれもった気質のしっくりはまるところがすくないという、ただそれだけのことなんだ。なるほど手綱の具合を塩梅するすべは学ぶべきことかもしれないが、自分に違うというのは、どこにもたどりつけないのとおなじことではないだろうか。

――ま、いいさ、いましばらくはこの一興をともに歓しみましょう。
わたしの車の向きを、変えることなんてできない相談ですよ。


...


それではー

ue-people さんのコメント...

ありがとうございます!