僕自身まだ3回しか彼らのライブに接していないが、アレは体験してみないことにはわかろう筈がない。短くとも5時間という長丁場のコンサートは他に例を見ないし、会場の60’sのサンフランシスコそのまま雰囲気は他では絶対味わえないものがある。(増渕英紀)*
ライヴを見なければデッドの本当の魅力はわからない、という奴等がいるが、それはライヴという場を楽しむことが演奏の一部であるということである。デッドのライヴは時にゆるやかすぎて、単にねむいばっかりのときもある。(湯浅学)**
8月6日、水曜日。グレイトフル・デッドというバンドには厚みがある。誰をも拒まないような気楽さ、客に対する誠実さがある。だから今になってもラジオで特集されるし、新たに出会う若者たちも絶えないのだろう。と言っても、自分には芳醇なデッド体験があるわけでなく、充分な知識もないままに、なんとなく彼ら=グレイトフル・デッドに惹かれ続けているだけだ。特に、湯浅学の描くデッド像にはめちゃくちゃな魅力を感じる。
“時の流れの中で、自分たちの楽しみを探しながらやってきただけさ。本当の僕らの歴史はこれから始まるって気分だね”。長距離ランナー、そして“世界一歩みの遅い”このはみだしロックバンドの旅はまだまだ終わりそうもないのだ。(室矢憲治)*
グレイトフル・デッドが恐竜のように、60年代ヒッピーバンドの生き残り、と賞賛と揶揄がごちゃまぜになって評されてきたのも、自主的管理運営実践態勢を持続しつづけてきたからに他ならない。(…)インディーズという言葉が一般化するずっと前から、そして現在でさえも自主独立で勝手にのんべんだらりとやりつづけているその勇気と意志は、せこい権利や利害でゴチャゴチャもめている若僧たちには思い及ばぬものかもしれない。(湯浅学)**
室矢・湯浅の両御大の言葉にインスピレーションをもらいつつ、書き写していて気づいたのは、ここで語られる「自主的管理運営実践態勢」や「インディーズ」ってのは、現在よく使われる「独立」だの「インディペンデント」だのとは質的に異なるってこと。スローガンと化した空疎な言葉ではなく実践を伴う(自由であること!)動詞であり、持たざる者に勇気を与える霊感あふれる道具なのである。……なんか、話が大袈裟になったかな?
レイモンド・マンゴー『就職しないで生きるには』の復刊に際して、ノリのわからぬ役所の書類みたいな惹句がはびこるのは、みんなデッドを、ロックを、レゲエを、ヒップホップを、ダンスミュージックを聴いてないからじゃないのかな。ああ、もっともっとグルーヴィでリズミカルな言葉が溢れたらいいのになァ!
ハァ、書きはじめたら長くなってしまった。今日も通常営業っス。
*『グレイトフル・デッド』ライナーノーツから **湯浅学『音海 夜明けの音盤ガイド』から

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