2024年にライブペインティングをしたミュージシャン
これを書いてる今、2025年1月1日。実家に帰る車の中、千代田SA、ホットコーヒーはMサイズ 。
わたしは絵描きだ。絵だけで生計を立てている。はっきり言ってギリギリ以外の何物でもない。実は今も中々の窮地に立たされている、いや自分でそうした、2024のカレンダーがまだ描き上がらずに2025に降り立ってしまった。窮地に立つどころか、先に自分だけ2025に来てしまった。
そんなところから2024を振り返る。このカレンダー未遂事件は結構2024の象徴みたいな出来事だなと思っている。
実はわたしの手元に2025のカレンダーがすでに三つある。もうすぐもう一つ手に入る。一体この世の中にイラストレーターや絵描きはどのくらいいるんだろう。絵を描き、それを販売する。昔からその仕組みはほとんど変わっていない。ただ、外には出しやすくなった。それ自体はとてもいいことだと思う。
自分もずっと裾野を広げたいな、と思っていた。そういう活動もしてきた。でもある時気づいたら、わたしも裾野の一部分になっていた。 ハッとしてあたりを見渡すとそこに山はない。なにを目指せば良いかわからない。2024、その荒野でなにができるか。
隣りをみたら、音楽の界隈も同じことになってる気がした。自分が素晴らしいと思うミュージシャンの音楽がすみずみまで届いていない。これは同じ問題なのではないか。
届ける手段がSNSが主流になった時に、大事な鍵になるのがわかりやすさ。このわかりやすさって物差しの厄介さをどうぶっこわしていくか。このわかりやすさの先には消費と飽和が待ってんぞ。
現場現場、SNSは現場に通じる窓や入り口と捉えたい。そしてその先こそをきちんと耕す。簡 単に消費させてたまるもんか。時間かかっても、納得いくものを作ること(カレンダーに通じるのはここ)、そして、それと同時に、素晴らしい表現をしている方々にスポットをあてる場をつくっていくこと。時間は残酷、待ってはくれない。
実家である日母と話した。この先どうするかについて。「とにかく50まで、思い切りやってみる。その後どうにもならんかったらバイトでもなんでもするから!」20年前に一度言ったことのあるセリフをまた言うことになるとは。重みが違う。働くのが嫌いなわけではない。でもわたし、やらにゃならんことが目の前にいっぱいになってしまった。母は安心したと言ってくれた、こんな不安定な宣言に。ごめんねは飲み込んだ。思い出しては泣けてくる。もうやるしかない!
期限付きだと異様にやる気がでる。スタートだかスパートだかわからないけれど、そんなのもうどっちでもいいのだ。
とにかく企画をたくさんうった。なかでもNRQをつくばに呼んだ4月6日と、ケバブジョンソンとpottmannの10月26日の企画は一生忘れない。つくばの街の中で耕していくことは今年も企み中。
自分の絵の方は、根無草でかまわない。軽自動車に詰め込んであちこちに行く。自分が納得いく表現をしていけばきっと各地に数人くらい、わかりにくいわたしの活動を本気でわかろうとしてくれる人に出会えるはずだ。プライドなんていらない。2024は素晴らしい出会いがたくさんあった。何者でもない自分をこわがらないでその土地その土地に身を投じること。
自分が良いと思えないものは描かないし売らない。そう思いすぎたのかなかなかカレンダーが仕上がらない。みんなが待っているからはやく描かなきゃ、と思っていたけど、今は自分が描きたくて描いてるんだよと心から思えている。それを楽しみにしてくれる方々の存在にはとことん感謝しながら。大事にしたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿