2011/09/03

words from "ONE HAND CLAPPING".


アートは、大金持ちになり、派手な葬式をしてもらうのが人生の目的の人には無縁のものだ。
平穏無事に暮らしたい人にも同じく。そして、サンダルズは90年代、アートという光り輝く危険に手を染めたのだった。
そのうえ、パッケージされ、商品にされることを拒んだ。
かわりに"complete nakedness"全面的な解放という神話的な目標を表明した。(※)


こんな時代に音楽を聞く。
だからこそ、僕は音楽の本来持っていた効用を信じたい。
ポップ音楽は、何よりもまず明日への楽しみであり、誰にでも参加出来る祭典であり、
儀式であった筈だ。それは特別なことではない。
ジェームス・ブラウンはステージの上で一瞬説教師になることができる。(※※)


—詩の朗読は冗談で始めたの?
「違うよ。僕はそれより前からやっていたんだ。僕はとても真剣だった。
例えば、ヴァイオレッツのステージの上にはタイプライターが置いてあって、
誰もが一語はタイプできるんだ。それで次の人に交代する。それで最後にそれを朗読したりした。
あれは特別だったと思うよ。」(※)


そして、言葉。簡潔な、易しい言葉が歌詞には使われているけれども、
同時に映画のサウンドトラックからかTVの抜粋か、歌詞以外にもサンプリングされた言葉、
もしくはエフェクトを掛けられた言葉が頻繁に顔を出す。
それはまるでメディアを空気のように呼吸して生きてきた、僕達の時代のサインのようでもある。
彼等は僕達と同じように、極めて現代的な存在である。(※※)


基本的なアイデアは"参加すること"。
オープン・マイクで人々は自分たちの好きなように詩や物語を喋ることができた。ゲームもやった。
デレクとジョンはスタンダップコメディをやったりもしていた。」(※)


彼等はサンダルズとしての活動を最初から音楽家として限定していたわけではない。
例えば、彼等が88年にセッティングしたクラブ"The Happenings"は、現在のクラブという言葉から
想像できるようなものではなかった。(略)そんなお決まり事とはそれは無縁だったのだ。
そうではなく、それはその場にいる人間たちが主役の、自分達の手で、誰にも邪魔されることなく、
自由に楽しめる場所を作り上げようという試みであった。(※※)


(※)「ONE HAND CLAPPING -HIROSI EGAITSU」issue:02 (『relax』#77より)
(※※)「サンダルズの“CHANGED”」 (『人々の音楽について -One Hand Clappin'』より)

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