11月21日、木曜日。ここ数日かかりっきりだった『大友良英のJAMJAM日記』を読み終えて、手に取ったのは田村隆一『退屈無想庵』。「退屈隠居をきめこんで猫と一緒に日がなゴロゴロ/そんなボクが日記を書いた! 初公開、詩人のボクの鎌倉日記」と帯にある通り、平成2年12月5日(水)にはじまる日記帖。飄々としながらするどい知性も漂わせる。いい加減なようでいて、言葉に対する観察眼は真似ようがないほどに独特で正確だ。
大晦日、大晦日とあんまり云って貰いたくないのである。こう云う事は、なるべく、そっとして置いて、無闇に騒ぎ立てない方がよろしい。恐ろしく切迫つまった事のように、世人が考えたがるのは、迷信である。或いは為にする輩の手なのである。小生は滅多にその手に乗らないぞと考えている。(内田百閒)
入院中の田村氏がベッドでひもとくのは内田百閒。百閒先生の金銭(借金)論を語りつつ、明治5年から6年にかけての明治政府の強引な太陽暦の採用を紹介する。そのなかにあったのが上記の一節、年末行事が迫ってくるのを恐れる自分をスッとさせるものだった。筋のとおった人の言説に触れると、妙に嬉しい。多少無茶であるくらいがちょうどいい。
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