2022/01/05

河野友花が2021年を振り返る

 一年を振り返って文章を書けだなんて、一角の人物でなければ依頼されないもんかと思っていたよ。戸惑いながら思いめぐらし、浮かんだことが二つ。
 春、ふだんは「誰かに伝えたいことなんて何もない」という私の夫が、或るアルバムについて「俺はこの素晴らしさを世界に知らしめたいんだよね」と言い出した。驚いていると、「あー、世界ってね、俺の世界よ。俺の世界にこの良さを広められれば、それでいいんだよね」平然と言い放ったその一言。これがひとつ。もうひとつは、年末に観た濱口竜介監督『偶然と想像』の中である人物が発する「自分だけが知っている自分の価値を抱きしめなくてはなりません。そうして守られたものだけが、思いもよらず誰かと繋がり、励ますことがあるからです」という台詞。
 閉じられているようで実は外へ広がり繋がってゆくイメージとともに、2021年に私が読んだ中から10冊を選んでみました。
  1. 『日本映画作品大事典』山根貞男 編(三省堂)
  2. 『最低な日々』相米慎二(A PEOPLE )
  3. 『美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道』春日太一(文春文庫)
  4. 『女の足指と電話機』虫明亜呂無/高崎俊夫 編(中公文庫)
  5. 『山を走る女』津島佑子(講談社文芸文庫)
  6. 『男』幸田文(講談社文芸文庫)
  7. 『まっくら』森崎和江(岩波文庫)
  8. 『子どもたちがつくる町 大阪・西成の子育て支援』村上靖彦(世界思想社)
  9. 『きっと誰も好きじゃない。』高木美佑(TALL TREE)
  10. 『妻の温泉』石川桂郎(俳句研究社)
 ①は、編集に22年、うち編集方針を決めるのに5年、原稿依頼と回収に5年、校閲作業に10年という、それだけでもう十分「とんでもない」事典なので、当然、お値段も高額。それで、新聞の紹介記事を切り抜いて夫に見せ「ほんとうは4万7,300円なんだけど、年内に買うと4万1,800円だって。誕生日プレゼントにちょうだい」とねだりました。夫の呼びかけで親族一同がお金を出し合い、45歳のお祝いに買ってもらいました。先日たまたま酒席で、この本を持っているという人に会ったのですが、お互いあの本を持っているというだけで高揚して、大変盛り上がりました。こんなふうに『日本映画作品大事典』個人所有者を見つけていき(彼は、この本を個人で所有しているのは手書きで名簿を作れるくらいの人数ではないかと推測していました)、いつか、そのメンバーで集まって飲んだら楽しいだろうねえ、と話し合いました。全員が胸にけなげな赤い表紙を抱えて、集合写真を撮ったりしてね。

 ⑩は10冊の中で唯一、図書館で借りて読んだ本。書庫から出してもらうと、全体に激しくヤケていてシミがあり、数々の修復を越えてきた痕跡。表紙にはペン字で「◯◯徳三郎氏から借用」と書かれてありました(図書館所蔵なのに、借用ってどういうことなのか)。図書館の方によると、この『妻の温泉』は、1954年の初版以降は再版されておらず、全集などに収録されてもいないそうで(全集自体がない)、出してくれた本も「本来ならお貸しできる状態じゃない」とのこと。それでも貸してくださった本を大事に大事に読んでるうち、私、返したくなくなっちゃってですね、延滞後に貸出延長して、なんとまだ今、手元にあります。それにしても、どうしてこういう、押し付けがましさのないいい本が、ふつうに読めないのかなあ。白洲正子の『鶴川日記』より私はずっと好きだけど。『鶴川日記』の中の1篇「ロケーション」では、白洲邸で佐分利信監督『広場の孤独』の撮影が行われた様子が書かれているんですが、ここで①を開いたら、ちゃーんと394ページに『広場の孤独』、載ってました。見つけた時のこの気持ち、なんて言ったらいいんだろうな。安心感とも違う、単純に嬉しいとも違う……。こういう、シャキッと言い表せない感情や感覚を守りながら、2022年を生きていきたい。
(People Bookstoreに『妻の温泉』が入ってきた際は一番にご連絡ください。)

 あ ま り 寒 く 笑 へ ば 妻 も 笑 ふ な り
 昭和二十二年だつたと思ふ。山本健吉さんが呼んで呉れて、生れて初めて出版社といふものに勤めたが、そのN社も一年足らずで潰れてしまつた。年の暮れに迫つて就職口はない、金はないで、家にぼんやりしてゐた頃の俳句だ。(中略)
 夫婦で炬燵に対きあつてゐたかも知れない。昼めし代りのサツマイモの残りを、コンロで焼き直し、番茶をすゝり、口を利くのも億劫だつた。さうして暖かいのは炬燵の中の手足だけ、顔も耳もぴりぴり痛い。寝てゐる二人の子供の白い息が、少し長いのと短いのと、掻巻の襟に並んで見えて、何だかとてもやりきれない気持だつた。
「寒いわねえ」
「あゝ……」
 私は誰に向けるともなく腹が立ち、それからフツと、妙に可笑しさがこみあげてきて、さうして思はず大声で笑つてしまつた。妻も誘はれて「ウフフ」つと笑つた。その時の私達の笑ひには、まつたく何んの意味もなかつたけれども、私は「大丈夫だ、大丈夫だ」と心のうちで繰り返し呟ひてゐた。           
石川桂郎「私の俳句」――『妻の温泉』より 

河野友花

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