2024/01/01

柴田大輔が2023年を振り返る

毎年色々な方が書かれているその年を振り返るコーナーに、PEOPLE BOOKSTORE ・植田さんからお声かけいただきました。恐縮ですが、僕なりに2023年を振り返りつつ、2023年に読んだ一冊の本とそれに触発されて足を運んだ茨城県南の自宅周辺にあるエスニック料理店を紹介したいと思います。

 

2023年、世界に目を向けるロシアのウクライナ侵攻が未だ激しく継続し、パレスチナでもイスラエルによる市民の殺戮が続いています。激しいニュースに心を痛めつつ、遠い世界の出来事にしてはいけないと思いながら日々の忙しさに飲まれていく歯痒さをいつも感じていました。そんな中で、というと軽くなってしまいますが、今年出会った一番の一冊が北関東の異界 エスニック街道354号線 絶品メシとリアル日本

 

多国籍の街・新大久保に暮らしながら、日本に暮らす外国の人々をさまざまな角度から描き出すノンフィクションライター室橋裕和さんの作品。群馬県高崎市から太平洋に面した茨城県鉾田市までを東西に貫く国道354号線沿線の様子を、各地に暮らす中南米、中東、アジア人々「食」を通じて鮮やかに描き出すルポタージュです。登場人物のおもしろさにも惹き込まれるが、なぜその土地に、その国の人が根を張ることになったのかを、各地域の歴史に紐付けて描かれている点も鮮やかです自分が暮らす土地が違った風景に見え、まさに目から鱗が落ちたよう。そして、毎日近所でれ違う、集団で自転車移動していたり、スーパーでよく見かけるアジアから来た若者たちに声をかけたくなり、実際にかけてしまったこともある。僕はこの本の影響で、日常の行動範囲にあるエスニック料理の食べ歩きを初めてみました。そこで驚いたのは、日本人に媚ない現地仕様の本格的な料理店の数々の存在でしたフィリピン、ベトナム、スリランカ、タイ、インド。まるで日本人を無視するかのように、メニューに詳しい説明はい。そっけなさに、何の変哲もないただの田舎町だと思っていた僕が暮らすが、いつのまこんなに多民族の街になっていたのかと、驚き実感することになりました。前置きが長くなってしまいましたが、いくつかの店を紹介したいと思います

 

まず初めに行ったのが、僕が育った地元近く、土浦市北部神立駅周辺に散在するベトナム料理店のひとつハイホー 大ちゃん」。子どもの頃、僕も「大ちゃん」と呼ばれていたこともあり気になっていた店です。店に入ると、ベトナムの若者4人が、昼からビールを煽りながら、楽しそうにご飯を食べている。店員との会話ベトナム語。みんなが何を話しているか分からないが、とにかく楽しそうに食器をガチャガチャ鳴らしながら飲み食いしています店員の若い女性におすすめを聞いて出てきたのは、刻んだたっぷりの臓物が入ったフォー。卓上にある二種類の辛味調味料で味変させつつ、添え物の生キャベツともやしをバリバリかじりながらフォーを啜る。店の奥には広々としたカラオケコーナーがある。まるでナイトクラブのような壁と天井を彩る金色、ピンクの照明がエキゾチックに大きな革張りのソファー広い部屋を照らし出す神立駅周辺には他にも何軒かのベトナム料理店やアジア食材店が点在している。お店の話を聞こうとしたが、店員さんは日本語があまり通じなかった。どうやらオーナーは別にいて、その息子の名前が「大ちゃん」らしい。夜に行ってみるとまた違うお店と地域の一面が見られるのかもしれません

 

次の一軒は、自宅からほど近い龍ヶ崎市内フィリピン料理店ピノイクシーナ僕が龍ヶ崎に転居したのは一年前。市内に多数のフィリピン料理店があるのが目につきましたこれまであまり出会ったことのなかった国の料理店だったので気になりました。毎週日曜日に、香ばしい匂いを煙と共にまき上げながら店頭で鳥の丸焼きを焼くのがこの店でした。日曜日はビュッフェの日1500円を払い、カウンターに並ぶ、さわやかな酸味やココナッツの風味が聞いた豚や鶏肉をふんだんに使った料理からお好みを皿に盛ります。味は本格的。辛みを効かせたものも実に美味しかったです店主は50歳前後のフィリピン人の女性で、日本語で明るくおすすめを教えてくれる。来るお客さん多様でした。日本人の家族連れ、フィリピン人の彼女に連れられてきた南米ボリビア人の男性。この物件のオーナーだという中国人女性。以前、南米に住んでいたという日本人の中年女性。フィリピンの言語タガログ南米で広く使われるスペイン語、それに日本語が飛び交いながら客同士も話が弾んでいます。女性はそれまで、自宅で作った料理をオンラインで販売していたものの、コロナ禍でいた店舗を見つけて出店を決めたといいます。明るいママさんで、地域で暮らす若いフィリピン人たちの悩み相談の場所にもなっていて、将来は、外国ルーツの子供が通える保育園を作りたいと話します

 

最後は以前に僕が住んでいた牛久市内のアパート近くにあインド・ネパール料理店レッドローズ。僕がそこに越してきたのは6年前。当時は中国人が営む新世界という中華料理店だったのが間もなく韓国人夫婦の韓国料理店に変わり、コロナ禍に入ると店をたたみ空き店舗になっていた。その直後に開店したのが、ネパール人の青年によるレッドローズだった。ナンと共に出される各種カレーも美味しいし、米料理のビリヤニも本格的。夜くと、ネパールのラムを600円でコップに並々と注いでくれる。元が取れるのか心配つつ、気さくな店主話を聞くと、彼の背景を教えてくれました前職は、都内のある自動車関連工場で工員をしていといいます。コロナ禍で雇い止めに遭い失業。でもそこで挫けず、一念発起し、知人の伝手を辿って飲食店の開業を決意し、たまたま見つけたのが、縁もゆかりもない茨城県牛久市のこの店だったといいます。その行動力に驚きながら、苦労話を明るく話す彼を応援しようと度々店に立ち寄っていましたでもその後長引くコロナ禍のなかで、彼も店を手放すことに。店を継いでくれる人をウェブで募集すると、その日に手を挙げたのが、現在のオーナーであるインド人の男性だといいます。二人は全くの初対面。インドの彼は二十代後半。先に日本に出稼ぎに来ていた父親を追って約10年前に渡日し、現在は同郷の仲間と埼玉県内解体業をんでいるそうです以前から、週末に仲間を集めて飲み食いできるレストランのオーナーになるのが夢で、たまたまSNSでオーナー募集の知らせ目にして、その日の仕事終わりに現金を持って埼玉から牛久までやってきたのだといいます現在は、以前から厨房を務めるネパール人たちを雇って営業を続けています。

 

他にも牛久市周辺出店が相次ぐ本格的なスリランカ料理店の数々や、土浦市荒川沖のタイ料理店などまだまだ紹介したいお店はたくさんあるのですが、コロナ禍で日本人が元気を失っている中、実にダイナミックに暮らしを営むアジアの人たちが印象に残りました。それぞれが日本に根を張り、たくましく、熱を発散しながら生きている。コロナ禍で店を閉める商店が相次ぐ中で、気がつくと、身近なところにベトナムやタイ、中国人向けの食材店も多数オープンしています改めて、僕たちの暮らしはすっかり多国籍な街の中にあることに気付くのでした外に出て、気になる食べ物を胃に流し込む。知ってるつもりになっている地元を旅することから始めてみる。多少でも言葉を交わせば、そこには自分が知らない世界が広がっていることがよくわかる相対する彼らの後ろに広がるのは、彼らが生まれ育った海の向こうの世界。僕らの暮らしは、まさに世界と地続きなのだと実感します。そんな思いで毎日届けられるニュースを見そこに映し出される喜びも痛みも、自分と無関係ではいられないはずと力が入りますそんなことを思いつつ、来週は何を食べようかと考えるのが、今の楽しみ。今年もこの旅を続けてみたいと思います


最後に宣伝をさせていただき恐縮です。つくば市の出版社夕書房さんからつくばを誰もが住みやすい街にしようと活動をしている障害のある人たちを追った本「まちで生きる、まちが変える つくば自立生活センターほにゃらの挑戦」を出版することになりました。2月に販売が始まるとのことで、是非、お手に取っていただけたら大変嬉しく思います。長々と失礼致しました。今年もどうぞ、うよろしくお願い致します。


柴田大輔 しばた・だいすけ

1980年、茨城県龍ヶ崎市在住。写真家・ジャーナリスト

写真専門学校を卒業後、フリーランスとして活動。ラテンアメリカを1年間旅したことときっかけに、2006年よりコロンビアで住民と生活を共にしながら、紛争、難民、先住民族、麻薬などの問題を取材し続けている。国内では福祉や地域社会をテーマに活動する。

www.daisuke-shibata.com

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