2022/10/16

ブルース・ビフォア・サンライズ

山名昇『寝ぼけ眼のアルファルファ』の第1章は「ブルース・ビフォア・サンライズ」と題されたブルース・パート。リロイ・カー、ハウンド・ドッグ・テイラー、リトル・ウォルター、ロバート・ジョンソンなどを取り上げるなかで、スリーピー・ジョン・エスティスのライブ盤ライナーノーツとして執筆された「ブルース・ライヴ! スリーピー・ジョン・エスティス」が群を抜いて魅力的だ。

“悲しみを忘れる為に悲しみを歌う、辛さを忘れる為に辛さを歌う、絶望を忘れるために絶望を歌う。この点における共感こそが、僕とブルースとの、一番深い所での係わり合いである。”

巻末にある生年月日「1954・9・30」と照らし合わせてみると、本稿執筆時の山名さんは22、3歳。その年若い男が、ここまで切実に黒人の歌うブルースに感応するとは! 自らのブルース愛を感傷的に、されどセンチメンタルに浸りきらずに言語化し、他者に訴えかけてしまうとは。読み込むほどに驚かされる。

“俺達に明日はない、なんて今じゃ当たり前の話だし、僕には今日って物さえない様にも思える。黒人達が絶望を忘れ去るのに絶望を歌う事しか残されていなかった様に、今の僕には虚軸の上をただ突っ走る事しか残されていない。”

この一節に関して、若書きの要素は否定しきれない。だけれど、ある時期にしか生じ得ない感情をここまで的確に書き起こせるなら、単なる記録以上の意味がある。

こんなテキストに触れてしまったら、目に入ってくるスリーピー・ジョン・エスティスの名前は無視できなくなる。引き抜いた盤のジャケットが好みだったら、なおさらだ。午前中、買い物途中に立ち寄ったリユース店で見つけた『スリーピー・ジョン・エスティスの伝説』は、1960年代のエスティス再発見後の第一作らしい。今日は、この盤を聴いて過ごそうと思う。

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