2024/01/03

小栗誠史が2023年を振り返る

楽しみに読んでいたブログに自分の名前を連ねる日がやって来たシアワセ。元古本屋、現在は竹内紙器製作所という会社に所属して広報など担当。2023年を振り返るということで、読んだ本のことなどから始めてみます。

ところで、本はもちろん好きなのですが、より好きなのはたぶん読むよりも買うほうなのだと思います。古本屋を始めたのも、思う存分好きな本が買えるから、ひとつにはそんな理由もありました。結果、好きではない本も買わなくてはならないというジレンマに陥るのですが、そんなときこそ学びがあるというもの。興味のない対象にどうやって関心事を見つけるのか、それが古本屋になったぼくに与えられた問いでした。どうすることが正解なのか、はっきりとした答えを見つけることはできませんでしたが、何れにしてもそんな思考訓練は古本屋でなくなった今でもとても役に立っていると思いたい。

そう、読んだ本の話です。読んだ本よりも、買ったまま読んでいない本の方が多いということが言いたかったのです。そんなわけで2022年の秋頃に買い、年をまたいで読み終えたのが邵丹(ショウ・タン)の『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳:藤本和子、村上春樹、SF小説家と複数の訳者たち』でした。500ページを超えるというボリュームにも関わらず一気に読むことができました、と言う割には時間がかかっていますが、ともかく素晴らしい内容の1冊でした。

中でもおもしろいのは、60年代に形成されたカウンターカルチャーが70年代においてサブカルチャーへと細分化されていくという、文化の再編成が行われた時代の翻訳文学について考察する第2章。いつかのトークイベントでスペクテイター誌の赤田祐一さんが「60年代か70年代、なんにしてもその辺りが起点」と話されていたとおり、この時代の話はもれなく興味深い。ちなみに「サブカルチュア」という言葉は1968年に金坂健二が美術手帖に寄稿した記事で初めて用いて以降、欧米での文脈とは異なる日本的なニュアンスを帯びるようになっていきます。そんな異国の、それも半世紀も前の文化について、1985年生まれの著者が得た造詣の深さとクールな眼差しにノックアウトされずにはいられませんでした。

ノックアウトされたといえば、12月にリリースされた舐達麻の「FEEL OR BEEF BADPOP IS DEAD」は、ビーフから生まれたとは思えないほど、ビーフに至ってしまった経緯やなんやかやがもうどうでもいいと思えてしまうほど、美しい曲でした。SNSや動画を配信して語るのではなく、言いたいことがあるのなら言葉をリリックにしてトラックに乗せろ、ラッパーなら握るのは拳じゃなくてマイクだろ。6分50秒という、最近ではなかなかお目にかかれなくなった長尺に込められたのは、アーティストとしての矜持。

アーティストの展覧会には1年を通して定期的に足を運んでいますが、取りわけまだ知らなかった作家の眼差しを借りて見る世界は、いつも新しい発見や驚きを与えてくれます。例えばそれは東京都美術館で観た荒木珠奈であったり、メゾンエルメスで観た崔在銀(チェ・ジェウン)であったり。それぞれの作品にはまったく似たところなどないのですが、どちらにも「記憶」や「時間」といったテーマが内包されていたことは、なんだか偶然だとは思えませんでした。それはたまたま読んだ坪内祐三の『靖国』にも共通しているところがあり、もう少し深く掘ってみようかなと考えています。

本にしろ音楽にしろ美術にしろ、争いごとや災害が起きている中では心から楽しむことはできません。食べなければ腹が減るように、本や音楽や美術、あるいは映画やスポーツなどに触れる機会がなくなれば心が減ります。現在の状況で自分にできることはほとんどありませんが、好きなものを楽しめることに感謝しながら、誰かの役に立てるときのために備えておこうと思います。腹も心も満たされる世界を、取り戻せる日がくることを信じて。

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