2020/07/31

7/23-7/31 本日誌


いつでも何かを読んでいなくちゃ駄目だ、と彼は言った。文字通りに本を読んでいないときでも。じゃないと、世界を読むなんて不可能だろう? 読むというのは不断の行為だと考えた方がいい。(アリ・スミス 木原善彦・訳『秋』新潮社)

7月23日。妻が図書館で借りてきた、アリ・スミスの『秋』の中で見つけた一節。断片的な会話、やり取りが並べられる構成で、通読しても大きな話はつかめなかった。ただ、上に引いた箇所がつよく印象に残った。ダニエルという老人が語った言葉。

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7月24日。朝5時くらい、カラスの鳴き声で目が覚める。燃えるゴミの日だからだろうか。そのまま起き出し、軽く本を読んだところで妻と一緒に散歩に出る。人の少ない田んぼの道を歩くと、15分ほどで神社に着く。朝は静か。空気も綺麗。賽銭を投げてお参りを済ませたところで、神主さんの朝の儀式がはじまった。一通りの順序を経て、最後に和太鼓を叩き出す。そのリズムが面白い。いいものを見たねえと話しつつ、家に帰る。


東京五輪に合わせて設けられた祝日、今日はスポーツの日というらしい。まったく安直。くだらない。そう思っても世間は祝日。店を開けると、人がけっこうやって来る。特に夕方以降、久しぶりの友人や知人、はじめましての方々など次々にご来店。ありがたい。けれど、疲れる。ポッと空いた隙をみてビールを飲む。すごく美味かった。

音頭場で買える食べ物は決して美味ではないし、値段も割高である。ただし、こういう場所で味だの値段を云々するのはナンセンスだ。デリーシャスだのコスパを云々するならスマフォに頼って他所へ行け。(鷲巣功『河内音頭』ele -king books)

敬愛する方に薦めてもらって、少し前に購入していた『河内音頭』。与しがたい雰囲気を放っていてなかなか手に取らずにいたのだけれど、思いきって読みはじめて、すぐに見つけたこの台詞。ああ、大丈夫。きっと気が合うと感じて、味読している。著者の鷲巣功さんの語り口に独自にイントネーションを感じる。鷲巣さんの話に耳を傾けているような感覚を覚える。

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7月25日。朝からつよい雨。ザーッと降って、止む。セミが鳴きだす。これが午前中から幾度も繰り返される。油断して出かけるとずぶ濡れになる。店を開けた13時ごろは曇り空、ここから2時間も経たないうちに大雨、雷。自転車で走る若者たちが走る、走る。店に来る人は少ない。今日はこのまま静かに時間がすぎるのだろうか。

店をほうって、コンビニでコーヒーを買って帰ってみると、友だちがいてビックリする。流れのまま軽くビールを飲むうち、お客さんがやって来る。不思議なことに一度来店があるとひっきりなしに誰かが来てくれる。すごく久しぶりにライターの木村衣有子さんも来てくれた。色々と話が出来て楽しかった。サッポロラガー(通称赤星)のことなど。

シーナさんが口についたビールの泡を手でぬぐった。そう、やはり、このころからシーナさんはビールの人だった。(亀和田武『夢でまた逢えたら』光文社)

本を読んでいて、ふと、懐かしい気持ちにとらわれる。そうだった。自分は二十代のはじめ頃、椎名誠さんの著作と波長が合い、勢いまかせに読んでいた。そうするうちに、元々好きだったビールがより一層好きになった。今も続けている缶ビールをコップにうつしてのむ習慣も、元々は椎名さんの真似なのだ。

軽妙なエッセイ集のような顔をしたこの本、『夢でまた逢えたら』はとても面白い。ゴシップめいた話もあれど、社会批評としても十分に通用する。

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7月26日。謎の四連休、最終日。朝から雨がつよく降っている。よくもまあ、毎日降るもんだねえ、なんて話していたら、昼前から急に晴れる。太陽が顔を出すと、いきなり夏になる。FUJI ROCK FESTIVAL開催中の苗場スキー場を彷彿させる温度、空気。ちょうど良く遊びに来た友人と開店早々ビールをのむ。この連休中は序盤は静か、中盤、夕方頃からお客さんが動き出す流れが続いていたのだけど、この日も同じ。閉店の20時まで来客が絶えず、驚いた(とは言え、後半はポツリポツリという感じ)。

なにか見えたような気がして一年一組一番が植え込みに近づくと、そこには白くて丸いものがあった。(柴崎友香『百年と一日』筑摩書房)

早い時間からビールをのんでしまったし、知り合いが何人か来てくれたこともあって、昨日買ったばかりの『百年と一日』は冒頭の一文から全然進まなかった。

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7月28日。蒸暑い。雨はやまない。静かに本でも読もうか、と思っていたところに段ボール二箱分の買取依頼。以前からちょこちょこ来てくれていた読書家のスケーター、Hくん。東京に引っ越すにあたって蔵書を整理したいらしい。これが、なかなか力のあるコレクション。とりあえず預かって、明日までに査定をする約束をする。そこから知り合いの来店が続く。同時に、さらに買取が2件。その間、友人たちとしゃべる。そうすると、自分の時間はまったくない。今日は本が読めなかった。

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7月29日。とても静かな一日。お客さんも少しだけ。気がつけば、売上ゼロという日はほとんどなくなった。わずかではあれ、何かしらの売上はある。でもそれは最近のこと。昨年までは、年に何度かあったはず。

いろいろの生き方があるとは思いますが、七十数年生きてきてはっきり分かったことは、やりたいことをして生きるのがいちばんよさそうだということです。ぼくも、やりたいことだけやってきたとは思いませんが、少なくともやりたくないことはやらないで生きてきたとは言えるかもしれません。(木田元『闇屋になりそこねた哲学者』晶文社)

以前、知り合いの方がすすめていたように記憶している『闇屋になりそこねた哲学者』を古本屋で手に取る。終始、丁寧な語り口ではあるのだけど「ケンカはプロですから、どの程度のことをすればどうなるという計算は本能的にできますので、ギリギリの脅し方をしてやります」なんていう言葉もあり、著者の木田元さんに興味が増す。

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7月30日。お隣〈千年一日珈琲焙煎所〉で開催している河合浩さんの個展もあって、人の出入りが多い。知り合いも多く混ざるので、話す機会も増える。一昨日、沢山の本を持ってきてくれた若者にお金を支払う。しっかり値段をつけたので、喜んでくれる。その後、知り合いのアナキスト、Kさんが貴重なアナキズム関連書をわけてくれる。近年、大きな関心を持っている分野なので、興奮する。与しがたいものもあるけれど少しずつでも読んでいこう。そんなこんなで、今日はまったく本を読めず。終盤はやけになってビールをのみ、閉店となる。面白い一日だった。

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7月31日。賑やかな一日。だけれど、売れた本は一冊だけ。何年かに一度ある、こういう日。やたらと人が来て、よく話し笑って、ハッと気がつくと売り上げはほとんど無し。当然本は読めていない。むなしい。さみしい。という感慨はないけど、ほんの一瞬「何やってんだか」と思う。でもまあ、これが自分の店か。とすぐに持ち直す。こういう日が何日も続くと、さすがに参ってしまうのか。どっこい、それこそ店だろうと開きなおっていられるか。出来れば自分は後者でありたい。

後半、やや息切れしたけれど、これがほぼ一週間の記録である。扉さえ開けていれば、誰が、いつ、来てくれるかよめないところが店の醍醐味。ときに渦に呑まれるように時間が過ぎて、エネルギーも吸い取られる。静かに、自分の内面と向き合っているうちに過ぎる時間もある。ほどよく来店がありつつ本も読めるときもある。それ以外、言葉にできない平板な日も多い。今後もうまく、店と付き合っていければいい。


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