「トーク・オデュッセイア第二歌にむけて」
ぼくは焦っていた。「本当にやりたいことってなんだろう。世の中「本当」なんてないんだよ。頭では分かっているつもりでも、心のどこかで信じていた、のだと思う。大学院での生活が終わろうとしていた、そんなころだった。
2012年1月末日。神戸に移り住んで1年。海文堂書店でのイベントを教えてくださったのは、知人の渡邊仁さんだった。聞くところによると仁さんの師匠、小島素治さんを追いかけた本が出版されたらしい。内容もよく把握しないまま店内へ入り、二階への階段を昇った。一番奥にあるイベント・スペースに入ってみると、明らかに年齢層が高い。北沢夏音『Get
back, SUB!あるリトル・マガジンの魂』の出版記念イベントが、それであった。
イベントの後、ぼくたち(ぼくとぼくの奥さん)は急いで『Get
Back,SUB!』を読み終えた。この「熱」を自分たちだけで持っているのは不可能だ。どうにかしなくちゃ。結果的にその10ヶ月後、ぼくらもイベントを行うことになる。大学図書館を職場とするぼくの奥さんが、70年代の初めに神戸で発行された小島素治編集の雑誌『SUB』(『季刊サブ』)6冊とその前身『ぶっく・れびゅう』2冊、今では入手困難な全巻を半年で揃えるという「奇跡」をおこし、大学の文化祭に北沢さんをお迎えしてトークショーを開催することができたのだ。2012年11月のことであった。このトークショーが、『SUB』研究会発足の直接のきっかけとなっていく。
「早い話がね、断絶をなくしてみようって思ってるんです。随分偉そうな物言いなんだけどさ。とにかく断絶をなくしたいんだ僕は。その断絶というのは、世代の断絶であって文化の断絶であってコミュニティーの断絶。僕はなんだかそれが全部つながって、とても深い断絶になっている気がするんだ。…」(山口隆『叱り叱られ』幻冬舍、2008年。)
サンボマスター山口隆さんのインタビュー集である『叱り叱られ』は、ぼくのフェイバリット・ブックの上位に、常にランクインしていた。そして山口さんのこの言葉も、常にぼくの胸の奥底にあったのだ。世の中はなぜ、こんなにバラバラなのだろう。確かに分割していけば見栄えは良くなるし、手のうちに収まるサイズになって、使いやすく接しやすい、口当たりの優しいものが出来上がる。でもその結果、山口さんのいうような「断絶」が生まれてしまったのではないか。ひとつひとつは小粒でスマート。各々が結びつくことのない世界。
ではこの「断絶」は、いつ生み出されたのだろう。ぼくは北沢さんのお話を聞いていて、それが60年代なのではないかと直感した。つまり60年代を自分たちなりに研究すれば、現代の「断絶」を埋めるきっかけがつかめるかもしれないと思ったのだ。そして何を隠そう、『叱り叱られ』の構成を担当したのが北沢夏音!こんな偶然あるだろうか。いや、もはや偶然ではない、必然である。
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