2013/08/17

エレクトリファイン・モジョ


たしかにモジョは“反抗者”だった。
アメリカのラジオ局は70年代を通じて、レコード会社の広告費によって支配されていた。
それはディスク・ジョッキーがレコード会社の傀儡に過ぎないことを意味していた。が、モジョは妥協しなかった。
複数のラジオ局の深夜枠を無報酬で渡り歩き、金によって派閥化されたポップ・ミュージックのシーンを横断し、自分がプレイしたい音楽をプレイした。
どうしても予算が必要なときは自ら広告営業に出掛け、自分のコンセプトを話し、相手を納得させようとした。
そうしたモジョの努力は、人種や階級に規定された音楽の聴き方を崩し、若い世代の耳を拡張した。
-『ブラック・マシン・ミュージック』(野田努・著)より

2 件のコメント:

  1. うわぁ、今、最近、でこんな記事が見れるとは…
    なんか、ありがとう。
    最近で何か特集とかあったんですかね?
    元記事が新しいんですかね?
    久々にギャラクシー2ギャラクシーでも聴いてみます。
    なんか、ありがとうございました。


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  2. おはようございます。
    見つけて頂いて、嬉しいです。
    8月の終りに『ブラックマシン・ミュージック』を読みました。
    それで、興奮して、ここを書き抜きました。
    こういうことが必要だよなあ、今。
    なんて思っています。

    こちらこそ、ありがとうございます!

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