2013/06/24
『宝島』の1975年11月号から。
いやはや痛快だ。
『宝島』の1975年、11月号のなかにこんなページがあったのだ。
特集は「全都市カタログ」。あの「ホール・アース・カタログ」へのオマージュ。
あそこにあった“モノ”ではなく、“ハート”を引き継いで、当時の日本で再編集されたカタログだ。
なんだかもう、決まってるのだな、とにかく。
「全都市カタログ」は地球と気持ちのいいセックスをしたい、あるいはエクスタシーを知りたいと願うすべての仲間のためにつくられている。
地球との性行為は、激しく、かつハイな状態で行われなければならない。そうすることによって、その気持ちよさは、言語を絶するものになるはずだ。
このカタログには、そのときに役に立つであろうものを、ぼくたちの設定したいくつかの基準のもとに選びだし、分類したものに、
一人称による独自の評価を加えたものである。 -“なぜ「全都市カタログ」をつくってしまったのか?”
良いなあ。素晴らしい。
特集の冒頭が“なぜ「全都市カタログ」をつくってしまったのか?”という叫びからはじまるのだ。
ここではもう、受けるか受けないか、みたいな理性や計算は働いていない。身体と心に重心を預けて、はじまる旅の過程が詰まってる。
そして、思い出す。『証言構成 「ポパイ」の時代』での北山耕平さんのインタビュー。
*あの頃『宝島』が「全都市カタログ」というのをつくったよね。
『宝島』がやろうとしたのは、ものの考え方とか思想とか、お金で買えない部分の『ホール・アース・カタログ』的なものをやろうとしたのであって。
『メイド・イン・USA』がやろうとしてたのは、『ホール・アース』の、お金で買える部分だよね。
*『ポパイ』は写真に撮れないものを扱えなかった。
なぜだかどうして。
このタイミングで、この言葉が腑に落ちた。すこしわかるな、と思えたのだ。
とは言えボクはいまだに『メイド・イン・USAカタログ』に憧れ続けているし、当時の『ポパイ』にも惹かれ続けている。
もちろんここ最近のリニューアル後の『ポパイ』だって存分に楽しんでいる。
それでもなぜか、ここに来て上記の北山耕平さんの発言がすごく、気になってしまった。
ということは、“シティ・ボーイ”という言葉をもう一度、よく考えみるタイミングなのかもしれない。
せっかく本屋をはじめたのだ。こんな動機で勉強してみるのも悪くない、のかもしれない、とも思う。
**おカネでいろんなものを買って生活する人たち。それがシティ・ボーイだ。買い物上手な間接生活者。
**間接生活者は、ものごとの真実に自ら手を触れることができない。あるいは、触れることが できずにいる。
おカネを支払えばたいていのものは手に入るのだし、彼らの生活の主軸は、そのおカネを手中にするための
奇型的な作業によってほぼ埋められている。
もしかすると、これは。
自由って何だ?ということなのかな。
ボクらを捕まえようとする、何者かはどこにいる? どこにもいない?
そんなことをなんとなく考えてる。
*あの時、なにか爆弾が破裂したんだよ。その影響はいまだに続いてるなにかにある。それは別に『宝島』が、って言うんじゃないんだ。
若者文化の中で、なにかが一回はじけたんだ。70年代の、それも前半に、自由っていうものが、一瞬だけ見えた時かもしれないね。
それが政治運動の中にからめとられていっちゃった部分と、それから『ポパイ』みたいな物欲のほうに流れた部分に別れるけど。
*その間の真空地帯に、何かがあったんだよ。きっと。
それが何だったかっていうのは、やっぱり、探し続けないといけないんじゃないかな。
*『証言構成 「ポパイ」の時代 -ある雑誌の奇妙な航海』(赤田祐一・著)より
**『宝島』1975年1月号 (特集 シティ・ボーイ) より
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