2012/09/24

雑誌にまだ、燃えているか。


北沢夏音氏による快著、『Get back,SUB!』を読んでいて頭に浮かんだ言葉がある。
「雑誌にまだ燃えているか?」。みんな、夢中になって雑誌を読んでいるのか? ふとそう思ったのだ。
情報を享受するための道具、時間つぶしの格好の相手としての付き合い方ではなく、我を忘れてその誌面に身を浸しているのだろうか。 
説明のつかない熱情に囚われたり、どこか遠くに行きたくなったり、しているのだろうか。
効率や有用性とはほど遠い、雑誌の面白みを感じているのだろうか。

これはもちろん、「夢中にさせる雑誌はあるのか?」という問題でもある。
でも、いまボクは読み手、受け手の意識について話したい。
それはそのまま、語ること(発信すること)について考えることと繋がってくるはずだから。

偉そうな物言いに響いたら、申し訳ない。
たっぷりの自戒もこめて書き進める。

買う。読んだら捨てる、積んでおく。
無自覚な消費をしていないか。いつのまにか情報に囲まれていないか。
「なにかの役に立つ」。その視点だけで、モノやヒトを選んでいないか。
話のネタ、自己満足のブログに書くためだけに、行動していないか。

知っている。それだけで悦にひたった気分でいないか?
出かけてみる。会ってみる。話してみる。よくよく、考えてみる。
その上で、何事かを判断しているのか? 

いやいや、むずかしい顔をして考える必要はまったくない。
ただ、言いたいのはひとつ。あなたはあなたの時間を生きているのか、ということだ。
利口な方法、無駄の少ない選択、歩きやすい道だけを選んでいないだろうか。
どこかの誰かの人生をなぞっては、いないだろうか。

***

 スペクテイターは世間一般の常識や価値観に流されない、独自なモノの見方を提示することを身上としたリトルマガジンです。
 「自由でありつづけること」「人生をとことん楽しむこと」を追求しながら、
 大人が決めた窮屈なルールなんてぶちこわせ! 自分達が本当に好きなことだけをやり続けようぜ! 
 とシャウトし、読者諸君をハイにできるような存在であり続けたいのです。(*1)

"Dear Readers"。『Spectator』の第十二号、巻頭の言葉。
ボクは編集長の青野利光さんからこう語りかけられた。うん、その通りですと思った。
自分が本当に好きなことだけをやり続けるのだと、誓った。当然事のようにそのまま受けとった。
そのままページをめくり、ハイになった。興奮した。高揚した。
「もう、このままじゃいられないぞ」と思ってしまった。

つまり、こういうことだ。

つまらない、つまらないと言うのなら、面白いことやってやろう。
なにもない、だれもいないのなら見つけてやろう。

ボクたちは自由にモノを言える。発信も受信もできる。
もっともっと楽しんでいいはずだ。なんでもやってみよう。
ただし、センスは大事だ。ダサイことはしちゃいけない。

***

 七十年代初頭に比べて、音楽や雑誌そのものが持ち得るパワーは、現在とても小さい。
 けれども、それらによって自分の生活を今よりずっと気持ちのいいものに変えることは、きっとできる。
 音楽も雑誌も、商業ベースに載せることが困難な状況を逆手にとって、それを作りたい個人がやりたいようにやることから始めればいい。(*2)

うん、本当にそうなのだ。
だからさっさとはじめよう。

ボクはまだ、雑誌に燃えているわけだ。


 (*1)『spectator』no.12 "Dear Readers"より
 (*2)『Get back,SUB!』"ロングトリップ -長いあとがき"より

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