2011/03/26

『一戔五厘の旗』の話。


ぼくと『一戔五厘の旗』との出会いの話。
横浜の友人、ミネオ君のブログに記されていた言葉、やり取りを読んで
「この本、買わなきゃな」と思った数日後、その一冊とお気に入りの古本屋でバッタリと出会った。
ちょうど地震の前日、3月10日。ウン十年前の東京大空襲の日だった。
いつものごとく一瞬迷ったけれど、結局それを手に取り会計を済ませた。

で、確かその3日後に大坪さんに本をみせたんだ。
ちょっと自慢しながら。目論見どおりに「それ、いいなあ」と言うから嬉しかった。
「こんなときだから、この本ですよ」と言いながら
ぼくはほとんど読んでいなかったのだけど。

さらに数日後に会ったとき。
大坪さんは“一戔五厘の旗”を読み込み、書き写し、コピーしていた。
捉え方が不明瞭な単語、漢字の意味をしっかりと調べてた。
「はい、これ」と手渡されたのはそのコピー、出来ばえは十分だった。

それを読みながら
まったく、スイッチの入ったこの人には敵わないなあ
と思いながら、普段ののん気さにもどうにかしないとなあ、とも思ったんだ。

でもまあ、大坪さんが本気を出した。
なのでぼくも、付き合うことにした。

みなさんもお時間があったら、是非。

---------以下、千年一日珈琲焙煎所Official Blogより--------

2 weeks ago
あれから2週間たった。

ずいぶん昔のことのような気もするけど、
まだまだ僕たちの暮らしはあの出来事の中にある。
出来事の終わりがいつおとずれるのか、どのような結末が待っているのか?
不安に包まれながら生きるということを経験している。
とはいえこの不安には、退屈なパニック映画を見せられているような予定調和がある。
ひとの感情をもてあそぶ、作者の意図が出来事を貧しくしている。
大いなる自然はこんな稚拙な脚本は書かないだろう。
そのことが意味するのは、今回の出来事が天災ではなく人災だということだ。
出来ることをやらないで怠けてきたぼくたちにそののつけが回ってきたのだ。



 どんなことがあっても 
 ぼくらは言う
 困まることを はっきり言う
 人間が 集まって暮すための ぎりぎり
 の限界というものがある
 ぼくらは 最近それを越えてしまった
 それは テレビができた頃からか
 新幹線が できた頃からか
 電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか
 とにかく 限界をこえてしまった
 ひとまず その限界まで戻ろう
 戻らなければ 人間全体が おしまいだ
 企業よ そんなにゼニをもうけて
 どうしようというのだ
 なんのために 生きているのだ
花森安治「見よぼくら一銭五厘の旗」1970)
           全文はこちら→ Click!

雑誌「暮しの手帖」を作った花森安治さんのことば。
「暮らしを大切にすることを通じて、戦争のない平和な世の中にしたい」と
一貫して生活者の立場から発信してきた花森安治さんのことば。
40年前、僕が生まれた当時のことばだ。
僕はここからやりなおしたい。
何かを変えなければもはやつぎの40年後はないと思う。
だから花森さんのことばを、少しでも多くのかたと分かち合い、
そこから一歩を踏み出せればと思います。

「花森安治のことばーポストFUKUSHIMAの時代を生きるためのレッスン」

日時 2011年3月27日 14時頃から17時頃まで
場所 千年一日珈琲焙煎所 
入場無料(ただしワンドリンクオーダーお願いします。)

花森安治「見よぼくら一銭五厘の旗」は当日配布します。

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