2013/07/25

そのライン


仲田絵美さんの『よすが』を観た帰り、安井かずみの『空にいちばん近い悲しみ』を買った。
その次に手に取った『たとえば好き たとえば嫌い 安井かずみアンソロジー』を読んで、『キャンティ物語』に流れる。
そこに現れたロバート・キャパにハッとして『ちょっとピンぼけ』を読もうと誓う。
ちょうどオーツボさんに古い版の『ピンぼけ』を自慢されたところだ。
表紙は競馬場に佇むキャパ。撮影はアンリ・カルティエ=ブレッソン。
次はあれだ。あの版で読まなきゃ意味が無い。

***

「人はいろいろなものから学習する。本で得た知識、旅で見た風景、日常の体験などから情報を得て、学んでゆく。しかし、結局のところ人は大きな人物と相対し、話し合い、仕草を見つめ、一緒に時を過ごすことで人格に影響を受けるのではないだろうか。」(*)

「出会いは、運というか、神というか、とにかく、絶妙なディレクターにディレクトされて、私たちの長い時間を、不思議な流れに創り出してゆく。…出会いこそはドラマティック・・・・・・出会いは、人生のヒントだ。神から与えられたヒントをどう捕え、どう生かし、どう発展させるか。それとも断ち切るか、無視して通り過ぎるか、によって、その人の人生が色づけされていくように思う。」(**)

***

本当に出会いは不思議だ。
なにかに導かれるように、だれかと出会う。ひとつひとつ、ドアが開いていく。
コントロールはできない。予想もできない。でも、勘を働かせることは、できる。
ある種の感覚を鈍らせない。そのために日々、せっせと本のページをめくっている。そんな気もしてくる。
「あっ」と素早く反応しなけりゃだめだ。いいなと思ったら、それはいいのだ。
それにようやく気づいたところ。

「でも蓄えっていうかね。そういう意味で、一応全部やったっていう蓄えがあった方が、あとになって強いんだよね。」(***)

いま、蓄えるべきものはなんだろう。
お金か、経験か、ある種の感覚か。どれか一つは選べない。
ただ、どれを優先して行動するか。そこが結構大きいのだろうな、とは思う。
そして、いろいろが交ざったものが、蓄えられるんだろう。いつの間にか。
『モジン』の第二号。平野家の話を再読していたら、そんな気がした。

なんとなく、なのだけれど。

(*)『キャンティ物語』野地秩嘉・著
(**)『たとえば好き たとえば嫌い 安井かずみアンソロジー』近代ナリコ・編
(***)『モジン』第二号 

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